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幻冬舎・見城徹社長の実売部数公表、結局なにが問題だった?
岩本太郎|2019年6月10日10:22AM
【出版社にとっての「自殺行為」】
見城氏、および前記の幻冬舎による「お詫び」も「部数を公表したというミスを起こしてしまいました」と認めた。高橋氏を含む作家からも、そこを批判する意見のほうがネットでは目立っている。ただ、一方で実売部数暴露について「そんなに批判されるべきことか」との疑問の声が上がっていることも事実だ。確かに法的または業界ルール上にこうした行為を罰する規定があるわけでもない。
むしろ問題は、出版社の社長が「ウチのベストセラーを批判するお前の本を出すわけにはいかない」との理由で既に進んでいた本の刊行話をキャンセルし、かつその際に「お前の本はこんなに売れてない」と言わんばかりに数字を暴露したことだ。かつて角川書店の敏腕編集者として鳴らした時代から書き手と編集者との関係性の重要さをインタビュー等でもよく語っていた見城氏にしては軽率な行為ではなかったか。
もう一つは津原氏の『日本国紀』への批判を理由に自著の刊行を取り下げられたとの具体的な指摘に対し、幻冬舎側が先の「お詫び」に至るまでまったく答えていないことだ。自社のスタンスはどうあれ途中の「出版ドタキャン」は信義にもとる行為にほかならない。
さらにこれは「出版」の根幹にも関わる問題でもある。幻冬舎に限らず、どの版元も出版する書籍の多くは大きな利益につながらず赤字の本も多い中を少数のベストセラー作品の利益で補うことで、さまざまな意見や表現を世に送り出す「出版の多様性」を確保してきた(また、そこから新たなベストセラーが生まれた)。あるいは見城氏のツイートは出版産業が苦境に喘ぐ中、幻冬舎ですらもそうしたモデルでは厳しくなり余裕が失われたことの表れなのか?
「ベストセラーの作品を批判したから」という理由でスタンスの異なる少部数の著作の出版機会を抹殺することは、出版人として実は自殺行為でもある。百田尚樹氏から重信房子氏まで多様な著者を抱えてきた幻冬舎でもあるだけに、なおさらそうした批判はなされて然るべしでもあろう。
(岩本太郎・編集部、2019年5月31日号)