なかにし礼さん
小室等|2019年6月12日7:00AM
海が山濤(やまなみ)となってあまたの命を浚(さら)っていったあの日以来、放射能が居すわり帰る人のない無人駅で、この異郷の詩人は、忘却の背中に、失われた言葉をまさぐり刻んでいく。私たち日本人の魂と相まみえるために。
――なかにし礼
これは、二〇一八年初版の『背中の地図 金時鐘詩集』(河出書房新社)の帯のために、なかにし礼さんが寄せた文章。
なかにし礼さんとは一九八四年の四月から一年ほど、NHKテレビ「あなたのメロディー」で審査員をご一緒させていただいた。審査員はもう一人、荒木とよひささん。たのしい仕事だった。
収録が終わると、礼さんの声かけで、毎回三人で飲みに行った。
礼さんにとって、同業だし、荒木さんと飲みに行くのは当然の成り行きとして、僕はお二人とは若干“職場”が違うというか、棲息圏が違うので、臆するところがないではなかったが、同席させてもらえば、話題は文化、文芸、諸事にわたり、酒席はさながら礼さんを師範とする「なかにし塾」と化し、喧々囂々(けんけんごうごう)実にたのしいものであった。
荒木さんの文芸への思いの深さもさることながら、なかにし礼というヒット曲の作詞家の“底”に埋蔵された諸事万端への造詣の深さに感嘆しきりで、この仕事をもって礼さんは僕の尊敬する人となった。