京大原子炉実験所「熊取六人組」の小林圭二さん死去
7月に偲ぶ会
粟野仁雄|2019年7月5日6:40PM
原発反対を主張してきた、京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)の物理学者「熊取六人組」(通称)の一人、小林圭二元講師が5月27日、すい臓がんなどのため亡くなった。享年80。
中国・大連市出身、敗戦で埼玉県熊谷市に引き揚げ、京大工学部を卒業して同実験所の助手となった。1970年代に愛媛県の伊方原発(四国電力)の設置取り消し訴訟に関わったことから同実験所の小出裕章氏、今中哲二氏らとともに「熊取六人組」と呼ばれ、同訴訟では原告住民の証人として法廷にも立った。とりわけ福井県の高速増殖原型炉もんじゅ(廃炉)についての研究を深め、「燃料倍増時間が数十年とか90年も要するようでは、将来のエネルギー源として成り立たない」として開発は巨額の国費の無駄遣いであることを早くから訴えていた。燃えやすいナトリウムを冷却材に使う同炉について地震国日本での危険性も強く指摘した。さらに「核兵器保有国でないのに再処理工場があるのは日本だけ」と核燃料サイクルのまやかしを指摘した。
退官後も講演活動などを続け、福島第一原発の事故では「一刻も早く使用済み燃料を取り出さなければ地球規模の惨事になる」などとわかりやすく解説した。
学生時代から知る六人組の海老澤徹元助教授は「小林さんは学生運動のリーダーとして停学処分も受けた。とても温厚な人柄ですが正義感が強く、やるべきことはやるという人でした。伊方原発訴訟は比較的後から参加されたが、炉物理が専門で原子力研究はわれわれより一歩も二歩も先を走っていた。もんじゅの廃炉で彼の研究の正しさが証明された」と話す。
著書に『高速増殖炉もんじゅ 巨大核技術の夢と現実』(94年・七つ森書館)、共著に『原発の安全上欠陥』(79年・第三書館)などがある。晩年は闘病のかたわら、妻の介護にも追われていたという。葬儀・告別式は近親者で終えたが、7月14日に大阪市「エルおおさか」で「偲ぶ会」が開かれる。
(粟野仁雄・ジャーナリスト、2019年6月21日号)