トランプ米大統領は現代に甦った重商主義
高橋伸彰|2019年7月14日4:10PM
経済学の父と評されるアダム・スミスは、その主著『国富論』(以下、同書という)の序論で、貿易黒字によって得られる金や銀を国富とみなす重商主義を批判し、国民の労働こそが国富の源泉であり、豊かか貧しいかは「国民が求める必需品と利便品が十分に供給されているかどうか」(訳文は山岡洋一訳の同書から引用)によって決まると述べた。
スミスは同書の第1編第1章でピンの製造を例に挙げて分業のメリットが国富を増やすと説き、第4編第2章では私益を目的とした経済活動の自由放任(自由な市場競争)が「見えざる手(市場価格)」のはたらきによって、自然に公共の利益(国富)として結晶すると主張した。
スミス研究者はスミスが道徳哲学の教授であり、『道徳感情論』では「人間は他者の視線を意識し、他者に同感(sympathy)を感じたり、他者から同感を得られたりするように行動する」と唱えたことを挙げ、スミスの自由放任は他者を無視した「何でもあり」の思想ではないと言う。
実際、イギリスの古典経済学に詳しい堂目卓生は「スミスは急進的な規制緩和論者であったのだろうか」と自問したうえで、スミスの自由放任を「社会の秩序と繁栄に関する、論理一貫したひとつの思想体系として」捉えるべきだと自答する。
その一方、理論経済学者の根岸隆は「大思想家のスミスとしてではなく(中略)資本主義社会の先駆的な研究者として」(前掲書の解説)スミスを捉え直し、今日的な視点から自由放任の意義を解明してみたらどうかと提言する。
この提言は、現代の資本主義システムを理論的に考察する岩井克人の研究関心と通底する。なぜなら岩井は冷戦終焉後のグローバル化する世界経済を「まさに『アダム・スミスの時代』になった(中略)それは、市場が経済を支配する時代のことである」(『二十一世紀の資本主義論』)と指摘し、スミスが『国富論』で展開したのは、未だ見ぬ資本主義の経済理論でもあったと洞察するからだ。