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映画『主戦場』のさまざまな戦線
阿部岳|2019年7月21日7:00AM
デザキ氏は「双方の主張を聞いた後、すべての発言に同じだけ説得力があるのではないと示す責任があると思った。私の結論は重要ではない。見た人それぞれが考えてくれることを期待している」と語る。「どの映画も客観的ではあり得ない。ただ、発言の最も説得力ある論点を入れ、公平だとは自負している」
共感を持って聞いた。「売春婦説」のような暴論はこれまで、事実に基づく研究成果と両論併記されることで勢力を拡大してきた。思考停止したメディアの罪は重い。
一方で、暴論が広がってしまった今は、現状を追認することも、さらなる流通を許すこともできない。メディアには正面から向き合う責任がある。そして、すべての当事者から等距離の純粋な「中間地点」は幻想だ。中立という呪縛から一度自由になって、公平を真剣に追求したい。
『主戦場』だけではない。毎日放送(MBS)の斉加尚代ディレクターの作品群も、対立する主張の間にカメラを据えてきた。ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞した「映像’17 教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか」で、育鵬社歴史教科書の代表執筆者は「(歴史から)学ぶ必要はない」「ちゃんとした日本人を作る…左翼ではない」と言う。
「映像’18 バッシング〜その発信源の背後に何が」では、弁護士に対する大量懲戒請求のきっかけを作ったブログ主が自身の記述を「単なるコピペ(コピーアンドペースト)ですからね」と言い放つ。
丁寧に対置するだけで、どちらに理があるかはおのずと分かってしまうものだ。
(あべ たかし・『沖縄タイムス』記者。2019年6月28日号)