日韓「NO安倍」で手をつなぐ?
8月15日韓国「光復節」
成川彩|2019年9月3日10:57AM
韓国では8月15日は日本の植民地支配からの解放を記念する祝日「光復節」だ。日本政府が韓国に対する輸出管理の強化措置を発表して以来、急激に日韓関係が悪化する中、今年の光復節は例年以上に盛り上がることが予想された。
まずは前日の14日、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める「水曜デモ」が行なわれるソウルの日本大使館前を訪ねた。この日のソウルの最高気温は35・7度。正午、照り付ける日差しの中、デモが始まった。1992年に始まり毎週水曜に開かれてきたデモで、この日は記念すべき1400回目。しかも14日は金学順ハルモニ(おばあさん)が91年に初めて元「慰安婦」として公開の場で証言した記念の日でもある。平日だったが、昼休み中と見られる会社員らの姿もあり、身動きがとれないほど多くの人が集まっていた。主催側の発表では2万人が参加したという。
路上に設置された舞台の上では寸劇の上演や「アリラン」の合唱があり、デモというよりもイベントのような雰囲気だった。道路に座り込んだ参加者たちは手に「記憶せよ韓国 謝罪せよ日本」「最後まで一緒に戦いましょう」などと書かれた紙を掲げていた。
被害者はみな高齢で、デモへの参加は難しい状態だという。かろうじて参加した吉元玉ハルモニは「最後まで戦って勝とう」と呼びかけた。「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」の尹美香代表は「共に平和な社会を作りましょう。日本政府は謝罪せよ!」と訴えた。
デモ後、地下鉄駅で売っていた雑誌『ビッグイシュー』の表紙は、金福童ハルモニだった。水曜デモの中心的存在だったが、今年1月に亡くなった。8月、韓国ではドキュメンタリー映画『金福童』が公開され、『主戦場』とともに話題になっている。
【広場に「安倍やめろ」の横断幕 日本語での演説に歓声も】
光復節当日は午後、ソウルの光化門広場を訪れた。朝からあいにくの雨だったが、「8・15民族統一大会」が始まる午後3時には雨がやみ、各地から集まった人たちが広場を埋め尽くした。さまざまな旗や横断幕が掲げられていたが、日本語で「安倍やめろ!」の横断幕も。在韓日本人のみならず、日本からの参加者もいた。私と一緒に参加した2人も、日本からだった。1人は韓国人男性(韓国出身)、1人は日本人女性。男性は「昔の民主化運動とは違って全然怖くないね」、女性も「日本語で話しても誰も気にしてない」と、和やかな雰囲気に驚いていた。
時折、司会者のかけ声に合わせて「安倍政権を糾弾する」と叫ぶ以外は、ステージ上で歌ったり踊ったり。日本の外務省では、光復節に際し、デモに近づかないよう、外出時には周囲に注意するよう注意喚起をしていた。私の日本の家族も「気を付けて」と連絡してきたが、正直な実感としてまったく危険性は感じられない。
今回の日本政府の輸出管理強化措置に怒った韓国の人たちは、日本製品不買運動を展開するなど「NOジャパン」を訴えていたのに、最近では「NO安倍」に変わりつつある。8・15民族統一大会でも、日本の「NO安倍」と連帯しようという動きが見られた。
日本からの代表として、「フォーラム平和・人権・環境」共同代表の藤本泰成氏が「安倍政権は、日本国憲法を変え、東アジアの平和の脅威になろうとしている」と危機感を語り、「憲法の平和主義を守り、東アジアの平和を作り出すために闘い続けます」と宣言すると、参加者たちから歓声が上がった。光復節に日本語で演説という珍しい光景は韓国内のニュースで話題になった。
一方、文在寅大統領は光復節の式典で、「日本が対話と協力の道に進むなら、われわれは喜んで手を結びたい。公正に交易し、協力する東アジアを共に作るつもりだ」と語り、安倍政権への強硬だった姿勢は少し和らいだ。「戦後最悪」と言われるほど悪化した日韓関係が今後どうなるのかは未知数だが、日韓の市民は連帯できる、と実感した光復節だった。
(成川彩・ジャーナリスト、2019年8月23日号)