性被害の訴え阻む「時効」の壁
性被害と気づくまで20年かかった
武馬怜子|2019年11月6日7:13PM
教師など指導者による教え子への性暴力はその関係性から発覚しにくく、後年になって生徒の側が告発しても立件されにくいのが実状だ。
大人になり、自分の受けた行為が「性暴力」だと気づいたときには公訴時効や除斥期間にひっかかって裁判で実態審議までいかずに門前払いされる例が続いている。
中学生時代に教師からわいせつ行為をされていたことを告発した石田郁子さんも「除斥期間」と闘う一人だ。
6月11日19時過ぎ。東京駅前の行幸通りには、4月から始まったフラワーデモ(注1)のために約300人(主催者発表)が集まっていた。デモも佳境に入った頃、1人の女性がスピーチに立った。
「私は札幌出身なんですけれども、15歳から19歳の時に、中学校の先生から性被害を受けました」
石田郁子さん(42歳)だ。彼女は、今年2月から、その教諭と札幌市教育委員会を相手取り裁判を起こしている。
「その時は男の人と付き合ったこともないし、性的な事も恋愛とかも全然わからなくて、親とか先生の言うことは、聞くものだと信じていたので、長い間被害がわかりませんでした。(略)私、実はわいせつ行為の事実証拠を持っていて、教員に会った時に教員がわいせつ行為を認めて謝ってきたんです。その会話の記録を札幌市教育委員会に出したにもかかわらず、教育委員会は『本人が否認しているから処分できない』と言って、教員はまだそのまま札幌市の学校にいます」
聞いている人たちからどよめきが起こった。
【拒否できない関係性】
彼女は中学の卒業式前日に教諭からキスをされる、身体を触られるなどの性被害を受けたという。その後、車の中で上半身裸にされる、教諭の部屋や屋外での性交類似行為など、意に沿わない関係を強要されてきた。
教諭のことを好きなわけではない。ただ、優等生として中学時代を過ごしてきた彼女は、先生の言うことに逆らうことは「悪いこと」であると思い込んでいたため、「嫌だ」と主張することすら思いつかなかったのだ。そしてその被害は、大学2年の夏、1997年7月まで続いた。
その後、生きづらさや罪悪感を抱えながら生活していた2015年5月、養護施設に通う16歳の児童が職員に性暴力を受けていた事件の裁判を偶然傍聴したことがきっかけで、自分の身に起こったことが性被害だったと気づいた。同年12月、教諭と面会し、札幌市教育委員会にも教諭の処分をしてほしい旨の話し合いを行なった。しかし、市の教育委員会の調査では、教諭が大学生となった原告と交際しただけという旨の主張をし、懲戒処分は行なわれなかった。
教諭と石田さんが札幌市内の飲食店で会った時のやりとりは以下の通りだ。
被告教諭「あなたが高校1年生の時に私がそういうことをしたということを覚えています。(略)あなたから電話があった時ものすごく驚いたんですよ。(略)あの時ああいうことをされて、私はショックを受け、傷つき、あなたのせいで人生が狂いました、と言われたら、全部認めるしかないわけですよ。そういうふうなのも少し覚悟して来たんですよ」
石田さん「あなたにとっては転勤先の一つかもしれないけど、私にとって中学校はひとつだけ。前を通るのも嫌」
当該教諭「そんなこと言われてもね」
石田さん「(略)私の高校3年間を返してほしい。罪悪感でずっと自分を責め続けていましたし、本当に、何でこんな思いをしてきたんだろうと思いましたし、ずっと自分を否定してきて(略)こんなに長い時間影響が及んでいることに、私は悔しく思っている」
石田さんは、2016年2月、初めてフラッシュバックを経験し、「遅発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と診断された。眠れなくなり、怒りやイライラすることが多くなった。そしてそれを抑え込むようになり、感情表現ができなくなった。当然仕事にも支障が出て、生活状態も悪化する。さらに、被害に関連することや場所を徹底的に避けるようになり、故郷である札幌には帰る気持ちになれなくなった。被告教諭がアパートの自室の前にいたらどうしよう、と恐怖に襲われることもあったという。