強制連行犠牲者を「靴」で追悼
東京で日中合同の集い
薄井崇友|2019年12月26日4:00PM
戦時中に中国から日本へ強制連行され、劣悪な環境で労働を強いられ亡くなった犠牲者を追悼する日中合同の集いが11月19日、東京都港区の芝公園23号地で開かれた。会場では、遺族が死者に靴(布靴)を履かせて弔う中国の風習にちなみ、両国の国民が犠牲者の人数と同じ数の靴を並べた。
第2次大戦末期、日本は労働力不足を補うために4万人におよぶ中国人を強制連行し、全国135カ所の港湾や鉱山の過酷労働に従事させた。日本政府・外務省の報告書では、このうち6830人が死亡したとされている。この異郷で倒れた犠牲者は、死後に靴を履くことすら叶わなかったのだ。
【友好こそが真の供養だ】
この集いは10年ぶり2回目で、日中友好の活動を続ける市民団体が開催した。今年は強制連行され死亡した人たちの遺骨が秋田県の花岡鉱山で発掘されてから70年になる節目で、中国から靴を運び遺族50人が来日した。日本人と合計で約100人が犠牲者を偲び平和と友好を願い参列した。
僧侶を先頭に遺族らが遺影などを掲げ、芝公園周辺を行進(庭儀)してから追悼の集いは始まった。献花・僧侶の勤行・黙とう・主催者挨拶につづき、来日した遺族代表が挨拶した。日本からも複数の市民団体の代表らがマイクを持ち、日本が負うべき歴史的責任や日中平和友好の想いを訴えた。
遺族の1人は「日本政府は忌まわしい過去の歴史を認めつぐなう必要がある。しかし、この友好の10年もまた私たちの歴史だ。今後も友好の歴史を続け10年後に第3回を開催したい」と話した。日中両国の国民が共同で「靴並べ」をする友好こそが被害者への真の供養なのだ。この友好を推し進めなければならない。
(薄井崇友・フォトジャーナリスト、2019年12月6日号)