憲政史上最長に水差した閣僚辞任
西川伸一|2019年12月30日7:00AM
いまでは法相というと、注目されるのは死刑執行のときくらいだ。上川陽子法相が2018年7月に一連のオウム真理教事件で、13人の死刑執行を命じたことは記憶に新しい。
その前には失言で辞任した法相がいた。菅直人第1次改造内閣の法相となった柳田稔氏である。彼は10年11月14日に地元の広島県内で開かれた法相就任祝いの席上、法相は2つ覚えておけば務まる、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」と「法と証拠に基づいて適切にやっております」などと述べて会場を「沸かせた」。
柳田氏にはそれまで法務行政の経験はなかった。とはいえ、法相がいかに軽いポストかを白状したようなものである。
この発言は同年11月16日の衆議院法務委員会で取り上げられた。そこで「歴代の法務大臣みんな冒涜する、そしてあなた自身が法務大臣としての職を汚している発言ですよ」と柳田氏を追及したのが、前述の河井克行議員である。因果は巡るものだ。
以前から法相ポストはこれほどまでに軽量級だったのか。歴代法相を調べてみると、主義主張はともかく錚々たる重鎮議員が配されて、政権のみならず法治国家の品格を担保した例がいくつもあった。第1次大平正芳内閣の古井喜実氏、鈴木善幸内閣の奥野誠亮氏、同改造内閣の坂田道太氏、第1次中曽根康弘内閣の秦野章氏、竹下登改造内閣の高辻正己氏、宮澤喜一改造内閣の後藤田正晴氏、菅直人第2次改造内閣の江田五月氏などである。