首里城が残した誇り
阿部岳|2019年12月30日2:00PM
15世紀以降、首里城を本拠にした琉球王朝も権力であり、離島へ侵攻し、民を搾取していた。本土復帰後、正殿の復元を求める運動が始まった一方、「搾取のシンボルだ」という批判もあった。正殿が復元されると、派手な朱色の姿に「ニセモノ」「ハリボテ」と戸惑う声が上がった。
沖縄県立博物館・美術館の前館長で歴史研究者の安里進さん(72歳)も当初、史実や姿に違和感を抱いていた一人。その後、自らも首里城全体の復元事業に関わるようになって気づいたことがある。「戦争で正殿を失い、県民は琉球独自の美意識を視覚的に育てる機会を奪われていた。27年間立ち続けた正殿は、その姿でアイデンティティを体現してきた。単なるモノではない、生きている存在になった」
国による辺野古新基地建設に反対する県民のうねりも、高まるアイデンティティが背骨になった。安里さんは「首里城が支えになり、政治だけではなく歴史と文化に根ざした強い反対の意思になった」とみる。
安里さんの考察によれば、沖縄の3万年の歴史で、現在のように日本と深い交流が続く「日本化の時代」は3回ほどしかなかった。前回はおよそ100年でまた独自路線に戻った。これに対し、明治政府が首里城の明け渡しを強いた「琉球処分」に始まる今回は、すでに140年がたっている。「独自化への揺り戻しが始まっている」というのが安里さんの分析だ。