MMTを一蹴するのは早計
高橋伸彰|2020年1月2日7:00AM
理論経済学者の岩井克人氏は膨大な考察の末に「貨幣に本質はなく、貨幣とは貨幣として使われるもの」(『貨幣論』)と述べたが、この循環論にMMTは同意しない。逆に、MMTは貨幣の本質を「政府の債務証書」、すなわち国家が課した租税の支払いに利用できる政府の負債と定義し、だから納税義務を負う多くの人に貨幣は受領され一般的な交換機能を有すると説く。
この定義が事実なら制度的には独立していても、貨幣を発行する中央銀行は必然的に政府と一体になる。そうなれば、政府は中央銀行に開設されている民間銀行の準備預金口座に電子記録としてキーボードで貨幣を入金するだけで、自国通貨建てで売られているものは失業者の労働力も含めなんでも購入できるようになり、財政政策の自由度は大幅に高まる。
レイは前掲書の序文でドイツの哲学者ショーペンハウアーの格言を引用して「最初は嘲笑される。次に激しく反対される。最後は自明のものとして受け入れられる」と述べ、MMTは「既に第3段階に達している」と言う。どの時代の正統も最初は異端だったことを思えば、事実による当否の検証を俟たずにトンデモ理論と決めつけ一蹴するのは早計だろう。
(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。2019年11月29日号)