尖閣諸島の字名変更で波紋
石垣市議会議決、国会議員も絡む“政治的意図”優先か
本誌取材班|2020年7月16日4:48PM
尖閣諸島の字名(行政区画上の単位名)を「字登野城」から「字登野城尖閣」に変更する議案が、沖縄県石垣市の市議会で可決された。議案は市から6月定例会に提出され、6月22日の本会議で自民・公明両党などの賛成多数で決まった。10月1日から変更される。
中山義隆市長は本会議後に自身のSNSを更新し、〈行政事務の効率化〉を強調。報道関係者にも「政治的な意図はない」と述べたが、台湾の「中央社」の日本語サイト6月15日付記事は、中山市長が台湾外交部(外務省)に「中国をけん制する意味がある」と説明したと報じている。
可決を受け、尖閣の領有権を主張する中国外務省の趙立堅副報道局長は22日、「重大な挑発行為」であると「断固反対」を表明し、外交ルートを通じ日本側へ抗議したと発表した。中央社の22日付記事も、台湾外交部が「遺憾と厳正な抗議を表明した」と伝えた。
このほか複数の報道によると、台湾宜蘭県蘇澳鎮は今年、石垣市との姉妹都市提携から25周年の催事を予定していたが、李明哲鎮長(首長)は「取り消しをせざるを得ない」との考えを示した。
石垣市側は「過去に手続きの誤りがあった」ことも今回の字名変更理由としていた。だが6月11日の市議会総務財政委員会で花谷史郎議員が手続きミスの内訳を質問すると、昭和時代に1件だけだったことが明らかになっている。
【「官邸にも根回し済み」か】
発端は2015年、尖閣の魚釣島に本籍地をおくという島外出身者からの字名変更を求める陳情書だった。今回可決された議案でも賛成者の筆頭だった仲間均議員は、市議会一般質問でこの陳情を度々援用し、字名変更を求めていた。仲間議員は10年に結成された「尖閣諸島を守る会」の代表世話人で、特別顧問は自民党国会議員の片山さつき氏(昨年1月退任)が担ってきた。
不可解なのは、字名が「字登野城尖閣」に決定された背景だ。石垣市は17年10月に部課長で構成する「石垣市尖閣諸島字名変更検討委員会」を設置し、字名変更の可否や変更字名案の決定に関する権限などを付与。委員会は有識者の意見も踏まえて「石垣市尖閣1番地から」とする変更案を全員一致で決定した。だが今回、市側は「字登野城尖閣2390番地から」とする案を提案した。「登野城尖閣」への変更は、片山議員らが繰り返し、訴えてきたものでもある。6月11日の国会(参議院予算委員会)で片山議員は「字登野城尖閣」との字名について、自身も「かなり長く、前からそういう希望があった」との旨を発言している。
6月20日には尖閣諸島へ向けて石垣島から2隻の船が出港したが、そのうち1隻は保守系メディア「日本文化チャンネル桜」の船であり、そこから提供された魚が6月25日、自民党議員らによって国会で振る舞われていた。
なぜ市側は委員会提案を無視し、「字登野城尖閣」を提案したのか。6月18日の市議会での内原英聡議員の質問に対し、中山市長は「(自らが)総合的に判断した」との旨を答弁した。10年に当選した中山市長のもと、市は条例で「尖閣諸島開拓の日」を定め、11年から毎年記念式典を開催。中山市長も参加し、今年1月の式典には安倍晋三首相も自民党総裁としてメッセージを寄せていた。
そもそも18年6月の石垣市議会決議では「領土問題」に言及して字名変更を求めており、中山市長の主張する「行政事務の効率化」との関連性は不明だ。さらに17年には同委員会に意見書を寄せた高良倉吉琉球大学名誉教授(琉球史)が、〈今の時点で事を急ぐという歴史的、実務的理由(特に対外的に)が確保されていない〉などと危惧していたことも見逃せない。高良氏は仲井眞弘多元沖縄県知事の副知事を務めた人物だ。
また17年に同じく同委員会に意見書を寄せた石井望長崎純心大学准教授は、今年6月7日の地元紙『八重山日報』で、〈今回は中山義隆市長が明確に表明したのだから、官邸にも根回し済みだろう〉との見解を示した。この一連の蠢きを”政治的”と言わずして、なんと呼べばいいのか。
(本誌取材班、2020年7月3日号)