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安倍前首相の新型コロナ「対策パッケージ」は感染拡大と背中合わせ
吉田啓志|2020年9月28日12:06PM
安倍晋三首相(当時、以下同)は退陣表明に先立ち、新型コロナウイルスに関する「対策パッケージ」を公表した。PCRと抗原検査の簡易キット拡充などで感染検査能力を1日20万件程度に引き上げることなどを列挙している。ただ、「コロナ対策を放り出した」との批判を避けるべく、公表済みの対策を寄せ集めた感は否めない。柱の一つ「2021年前半までに全国民に供給できる量のワクチンを確保」は、拙速ぶりも加わって国民をリスクにさらす危険性をはらんでいる。
「冬の到来を見据えたコロナ対策を決定した」。8月28日夕、首相は退陣の記者会見をコロナ対応から切り出し、今後に道筋をつけたかのような発言を続けた。後で細部を説明した加藤勝信厚生労働相は、ワクチン接種は医療従事者や高齢者を優先するとし、副作用への対応として「製薬企業に生じた損失を国が補償できるよう法的措置を講じる」と語った。
米国を筆頭に大国は開発途上の新型コロナウイルスワクチンの囲い込みに走っている。日本も同様で、世界保健機関(WHO)などが主導する、各国の共同購入でワクチンを途上国にも普及させる枠組みへの参加を表明する一方、米・ファイザー、英・アストラゼネカとの間で優先的に供給を受ける基本合意を結んだ。両社からは各6000万人分を確保し、米・モデルナとも交渉を進めている。日本勢で開発を手がけるアンジェスや塩野義製薬などが出遅れるなか、来夏の東京五輪・パラリンピック開催に躍起の政権は素早く動いた。それでも、欧米企業からは足元をみられ「副作用が生じた際の法的責任免除」をのまされた。
大国の「自国第一主義」は、今後感染拡大が懸念される途上国へのワクチン供給を滞らせ、パンデミック(世界的大流行)の終息を遅らせる可能性がある。各国共同購入の仕組みには年末までに20億ドルの当初資金が必要なのに、メドが立ったのは6億ドル程度。WHOのテドロス事務局長は「ワクチン・ナショナリズムは避けねばならない」と強く警告している。
【「治験不十分」を指摘する声】
本来、ワクチンの実用化には5~10年かかる。新型コロナに関し、WHOは有効性を判断する基準を緩めたものの、1年程度での「突貫開発」となれば相応のリスクを招く恐れがある。健康な人に打つワクチンは、健康被害が生じた際の影響が薬の比ではない。アストラゼネカのワクチン候補は炎症による痛みなどの副反応があり、多量の鎮痛剤を併用している。
ワクチンは人種によって効果や安全性が異なるケースもある。だが、治験期間の短縮化により、欧米製薬企業の日本での治験数は小規模にとどまりそうだ。厚労省OBは「海外での治験で安全とされても、そのまま日本人に当てはまるとは限らない」と話す。開発中のワクチン候補には最新の遺伝子工学を導入するものもあり、「治験にもっと時間をかけるべきだ」と指摘する専門家は少なくない。
そもそも、新型コロナを対象としたワクチン開発は容易ではない。構造の不安定なRNAを遺伝子に持ち、安定的なDNAより変異しやすいためだ。同じRNAのインフルエンザは流行時に次々変異し、ワクチンが効かないことも多い。開発中のワクチン候補約180種のうち、治験に入ったものは約40種。治験は第1相~第3相の3段階を要するが、数千人以上を対象とする最終の第3相に達しているのは8月末時点で8種にすぎない。開発の難しさは、免疫抑制たんぱく質の発見でノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑京都大学特別教授らも指摘する。ワクチンの「有効率」に関し、米国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長は「70~75%がいいところだろう」と語っている。
首相が打ち出した「対策パッケージ」には無症状者の隔離緩和策なども含まれる。経済重視に一層舵を切った格好だが、感染拡大の危険と背中合わせだ。精度の低い検査の拡充で偽陽性や偽陰性の人が増える可能性も高い。想定通りにワクチン開発が進まなければ、社会全体が混乱に陥りかねない。
(吉田啓志・『毎日新聞』編集委員、2020年9月11日号)