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「社会史・労働史」が欠落している産業遺産情報センター展示
植松青児|2020年11月5日6:12PM
大きく欠落している石炭産業の労働史の視点
石炭産業の展示では、高い技術力によって「端島は世界有数の海底炭鉱に成長し(略)端島の採炭技術や経験は(略)全国の炭鉱、さらにアジアへと伝播していきました」などの説明が続いた。しかし、ここにも大きな欠落があった。労働史の視点である。
近代産業の発展を可能にしたのは、石炭というエネルギー資源の獲得だった。しかし地下や海中に埋まっている石炭は、危険かつ過酷な作業なしには採掘不可能である。その作業を労働者に強いたことで、石炭産業は成立したはずだ。
日本の石炭産業の歴史は、落盤やガス爆発などの死亡事故や労災(注1)、労働力不足を補うために懲役囚を炭鉱で働かせる「囚人労働」(注2)、「納屋制度」と呼ばれる暴力的な労務支配(注3)などを抜きにしては語れない。
産業遺産に含まれる三つの炭鉱も、それぞれ過酷な労務支配で知られている。
三菱鉱業の高島・端島(軍艦島)の両炭坑は、ともに「二度と帰れぬ鬼が島」などと呼ばれ、過酷な暴力的支配が行なわれた(注4)。
三井鉱山の三池炭鉱(福岡・熊本)は「囚人労働」の割合が高く、1888年には労働者の約69%に及んだ(注5)。また、港での積み込みを担った鹿児島・与論島からの移住者への酷使・差別(ヨーロンと呼ばれ蔑まれた)も知られている(注6)。これらの一切が、メイン展示ではしっかりと紹介されていないのだ。
この視点抜きには「なぜ日本が短期間で西欧の近代産業をキャッチアップしたか」すら説明できないはずである。
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