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「社会史・労働史」が欠落している産業遺産情報センター展示
植松青児|2020年11月5日6:12PM
「給料袋」の展示にみる公平性の欠如
また、ゾーン3の展示内容から「差別や虐待がなかった」と結論付けるのは大きな無理がある。
壁には、39年以降に炭鉱で働いていた井上秀士さん(29年生まれ)、松本栄さん(28年生まれ)の証言がパネルで展示されていた(注10)。ともに炭鉱内で朝鮮人への差別や虐待はなかったと証言している。しかし両氏の配属はともに専門性の高い測量部門で、強制労働動員された朝鮮人と日々作業をともにする採炭部門とは異なる。
その他にも約70人の元島民の証言を採取したと加藤氏は説明した。しかしそれは40年当時の端島の人口約3300人に対しては3%にも満たず、しかも当時子どもだった人の証言がほとんどだ。在日2世の鈴木文雄さん(33年生まれ)の証言も大きなパネルで展示されていたが、鈴木さんも8歳か9歳の時に端島を離れている(注11)。このように、日々の労働現場で強制労働動員された朝鮮人と密な接点があった人の証言は、一切展示されていないのだ(注12)。
ところでゾーン3には、端島以外の史料が陳列ケースに展示されている。端島炭坑ではなく、三菱重工長崎造船所の台湾人徴用工・鄭新発さんの給料袋である。
この袋には支給明細が記載されており、「45年4月時点で精勤手当も出ていたことを示す、貴重な現物です」と加藤氏は説明した。「当時の徴用工は差別されていなかった」ことを示すためにわざわざ展示したのだろう。
しかし、同じ三菱重工長崎造船所で働いた朝鮮人徴用工・金順吉さんの事例については展示されていない。金順吉さんは92年に三菱重工を相手に損害賠償請求訴訟を起こし、97年に出された長崎地裁の判決では、45年1〜2月合計の額面上の支給額約116円に対し控除額約86円で手取額はわずか30円、7月分は不支給という事実が認定されている。
「鄭新発さんの事例だけを紹介し、金順吉さんの事例を紹介しないのは、明らかに公平性を欠いていませんか?」と私は加藤氏に質問した。加藤氏は、金順吉さんの判例は知っていると述べた上で、「ここでは現物を展示したかったのです」と返答した。
「ここの展示はあくまで『ワン・オブ・ゼム』です」
なぜ先行研究や先行調査で得られた証言、あるいは日本の裁判で認定された歴史的事実が展示内容に反映されていないのか。私の質問に、加藤氏は次のように答えた。「あくまで、元島民から聴いた生の声を紹介したかったからです」。「しかし、島民の3%にも満たない約70人の証言しか採取できなかったのですね。それだけで当時の事実が明らかになるとお考えですか」と私が質問すると、「残念ながらその数しか証言を得られなかった」と加藤氏は述べ、さらに次のように述べた。
「ここで紹介するのはあくまで『ワン・オブ・ゼム』です。ですから、後は見学した一人ひとりが判断していただければと思います」
見学者一人ひとりに判断を委ねたいのなら、なおさら先行研究や先行調査で採取された証言を展示すべきだろう。なぜ、日本の学術研究者が採取した日本人島民の証言(注4、注8の高比良氏の証言など)すらも展示しないのか。
それ以前に、同センターは「調査研究機関としての機能を有」する(公式HPより)はずだ。にもかかわらず、先行研究や先行調査で得られた証言を無視して、自らの独自調査で得た証言ばかりを展示するのは適切なのか。歴史学の学術的な研究手法を軽視しすぎではないか。
最後に、ゾーン3内で加藤氏や中村氏と意見交換する時間を得た。中村氏はまず韓国映画『軍艦島』の内容などを批判し、私に質問した。「あなたは、韓国が言うように『軍艦島は地獄島』だったと思いますか?」。
「朝鮮人だけではなく、日本人労働者にとっても地獄の島だったと思います」と私は答えた。これは決して特異な認識ではなく、長崎市の市史『新長崎市史(近代編)』にも、先行研究に言及した後に次のような記述がある。「明治以来、甘い言葉で炭鉱に連れてきて、暴力で働かせ、多くの死人も出た、という記録は多い。戦争中は朝鮮半島・中国からも連れてきて同じことをした。それが『負の遺産』『苦難の歴史』である」。
ちなみに中村氏も、端島炭坑での労働について「地下600メートルも深く、きわめて高温の現場で12時間ずつ2交替制の重労働だった」「だから人手不足を補うために、高い給料で募集した」と語った。そのような過酷な労働の問題を、「一緒に命がけで頑張った」といった「美談」に回収してはいけないはずだ。
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