「君が代」不起立訴訟で高裁判決を最高裁が維持
元教諭の処分取り消し確定
永尾俊彦|2021年3月17日4:59PM
東京都立特別支援学校の教員だった根津公子さんと河原井純子さんが2009年の卒業式で「君が代」斉唱時に起立せず職務命令に違反したとして、東京都教育委員会が出した停職6カ月の懲戒処分の取り消しを求めた裁判に決着がついた。最高裁第二小法廷(三浦守裁判長)は2月17日、裁判官全員一致で上告審として受理しないことを決定。東京高裁での根津さん側の逆転勝訴判決(20年3月。ただし2人への損害賠償は認めず)が、これで確定した。
最近の最高裁は政権に忖度した判決が多く、最高裁の決定を聞き、根津さんは「夢かと思った」。
06年から09年まで毎年の卒業式での根津さんと河原井さんの不起立に対する処分取り消しを求める四つの裁判で代理人を務めてきた萱野一樹弁護士は「国賠請求が認められるべきでしたが、これで都教委の全国的に突出した累積加重処分は許されないことが確定しました」と判決の意義を指摘する。
「累積加重処分」とは不起立を重ねるごとに戒告、減給、停職と重くなる処分だ。これは「思想転向強要システム」と呼ばれる。
この裁判では、まず18年5月の一審判決(東京地裁)では河原井さんの処分だけ取り消し。1年前の二審判決(東京高裁)では根津さんの処分も取り消していた。高裁では停職期間の上限は6カ月であることから「より重い処分は免職のみ」と判断。その後の卒業式では職務命令に従うか身分喪失かの選択を迫られる「著しい質的な違い」があり「心理的圧迫の程度は強い」とし、都教委は裁量権を逸脱、違法と判示した。
都教委は「根津元教諭は繰り返し職務命令に違反し、悪質性があるので処分を加重したが、(高裁判決では)受け入れられなかったのは遺憾」として根津さんについてだけ最高裁に上告受理申し立てを行ない、根津さん側も損害賠償を求めて上告と上告受理申し立てをしていた。
【「自分にウソをついては生徒の前に立てない」】
萱野弁護士によれば、裁判所からは06年事件から09年事件までを併合するよう強く勧められたが、併合せず各年度ごとに闘ってきた。
「併合していたら根津さんの勝訴はなかった」と河原井さんは話す。
その結果、河原井さんは減給以上のすべての処分が取り消され、06年、07年事件では国賠請求も認められた。他方、12年最高裁の「分断不当判決」(06年事件)で処分を取り消されなかった根津さんはその後、07年事件では東京高裁の逆転勝訴で処分取り消しと国賠請求が認められたほか、08年事件では敗訴したものの、09年事件は処分取り消しの逆転勝訴となった。
「妥協せず信念を貫く大切さを、根津さん、河原井さんが身をもって示しました」と、萱野弁護士は2人を讃えた。
また、今回の逆転勝訴確定は、大阪府立学校の教職員も励ました。大阪府では当時の橋下徹知事が主導し、府職員に君が代の起立斉唱を義務付ける国旗国歌条例が11年に成立。12年には同一の職務命令に3回違反すると免職になる職員基本条例が制定され、「スリーアウト制」と呼ばれている。
不起立ですでに戒告処分を2回受けている大阪府立高校教員の増田俊道さんは自身の現状を「3分の2免職」と表現するが、「今回の根津さんの勝訴確定で『君が代』不起立3回で免職にできないことが一層明らかになりました。諦めない限り、最後は勝利で終わると確信しました」と話した。
これで根津さん側の裁判はすべて終わった。根津さんは一度だけ起立しかけたことがある。05年の卒業式だ。当時の勤務校の校長が根津さんの不起立問題で都教委との板挟みになり、憔悴していたからだ。式当日、「君が代」が始まった時に根津さんは立っていた。
しかし、突然、以前読んだ本の「皇軍」兵士が中国人捕虜を刺突する訓練の場面が脳裏に浮かび、座った。自分はやはり「君が代」に敬意は示せないと思った。
「自分にウソをついては、生徒の前に立てません」
根津さんは、こうふり返った。
(永尾俊彦・ルポライター、2021年3月5日号)