『出版と権力』が描く講談社の知られざる歴史と教訓
佐々木実|2021年5月3日5:29PM
講談好きの清治はみずからも講談を得意とした。雑誌『講談倶楽部』にまつわる逸話が興味深い。幸徳秋水ら12人が死刑に処された大逆事件を受け、明治政府は社会主義思想を防ぐための民衆教育政策に力を注ぎ、娯楽とされていた講談にも光が当たる。この機をとらえ『講談倶楽部』は創刊された。
清治は関東大震災をも商機に変え、雑誌販売ルートに書籍を乗せて売る、現在まで続く日本独自の出版流通システムを確立した。
マスメディアの雄となった講談社の蹉跌(さてつ)は、初代清治が病死した1938年10月以後、つまり戦時下にやってくる。
『出版と権力』の貴重な情報源は150巻近くにのぼる秘蔵資料だ。1959年に編纂された社史『講談社の歩んだ五十年』のために収集された第一級資料が講談社に眠ったままとなっていた。60年あまりを経て魚住氏がひもとき、「書かれざる社史」が日の目を見た。それは日本のマスメディア史でありジャーナリズム史でもある。