フクシマの一〇年
小室等|2021年5月4日2:25PM
一九九二年五月某日、僕は写真家の本橋成一さんたちとチェルノブイリ原発四号炉の真ん前にいた。当時、そこを管理していたのはなぜかアメリカの管理会社で、五分以上「ステイ」すると君たちの命は保証しないと言う。
帰りがけの事務所で、記念グッズのメダルを購入した。僕は五〇ドル、本橋さんは一〇ドルと二人の記憶は食い違っているが、直径五センチ弱の銀メダルだ。
表には羽を広げて今にもはばたかんとする二羽の鶴と幼児の絵に添えられ、「RETURN FUTURE TO CHILDREN」の文字。裏面は文字だけで、「CHILDREN OF CHERNOBYL INTERNATIONAL FOUNDATION FOR ASSISTANCE TO CHERNOBYL VICTIMS」のメッセージ。
われわれを案内してくれた管理会社の職員に、四号炉に今も取り残されている核燃料が何かの拍子に核融合でも起こしたら核爆発は起きるのかと聞いたら、こともなげに「イエス」と返してきた。
そのときの凍るような不気味な恐怖心を帰国後、人に伝えようとしたが僕の力量では無理だった。ライブのMCでもトライしたが、客席との現実感の温度差に僕の表現力では無理だと悟った。