「人権後進国」可視化したウィシュマさんの死
望月衣塑子|2021年5月6日4:30PM
昨年8月20日に収容され、約半年で体重は20キロも減少。1月28日に吐血し、「食道炎」の診断が出たが、点滴や入院を希望しても聞き入れられなかった。3月6日午後2時すぎ。職員の呼びかけに反応しなくなり、病院で死亡が確認された。
支援者の一人で、外国人労働者や難民の支援団体「START(スタート)」顧問の松井保憲さんは、死の3日前に面会していた。「歩く力もなく車椅子だった。目はくぼみ、手は硬直して動かなくなっていた。直視できなかった」と話す。ウィシュマさんは入所中、支援者に「いつか子どもたちに英語を教えたい」「着物を着てみたい」と話していたという。その夢はかなわなかった。
19年の日本の難民申請者数は1万375人で、認められたのはわずか44人。難民認定率は0・42%で、ドイツの25・9%や米国の29・6%、英国の46・2%と比べても極端に低く、国際NGOなどから再三、懸念を表明されている。
また、入管庁は16年4月、「東京五輪の年までに、不法滞在者ら社会に不安を与える外国人を大幅に縮減するのは喫緊の課題」と内部通知を出し、収容の長期化が進んだ。一方、長期化に抗議する収容者のハンガーストライキが全国に拡大。長崎の大村入国管理センターでは19年6月にナイジェリア人男性が餓死する「事件」も起きた。