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すごい演奏家二一人
小室等|2021年5月9日6:00PM
前回、〈フクシマの一〇年を追いかけコロナがやってきた、それは次回。〉、と締めくくった。
そう、一〇年後に新型コロナウイルスがたしかにやってくるのだが、あのときは巨大地震と津波と原発事故の三つ巴を前に、体感した心の揺れがいつになっても消えず、なにかにつかまってないと立っていられなかった。かといって何につかまればよかったのか。
音楽活動五〇周年の記念ライブが七月に予定されていたが、「3・11」に身も心も竦んだ僕は、すぐに音楽監督の谷川賢作氏にライブ中止の意向を伝えた。ところが賢作氏は、むしろやるべきだと言う。僕がつかまったのは「やるべき」という賢作氏の進言だった。
身も心も竦むなどと言っておきながら、賢ちゃんの進言に乗り、前言翻す。タイトルは「音楽活動五〇周年ライブ〜復興〜」。無力感で立てなくなっている「ミュージシャンたちの復興」をタイトルにこめたつもりだったが、当事者の復興が生やさしいものではなかったことは、いまだに置き去りにされたまま、復興どころか、放置されたままそこここに残されている現状が物語っている。
復興などと僭越ではずかしいかぎりであったが、ライブをできたことで、少なくとも音楽には人を回復させる力があることを、再認識できたことは収穫だった。しかし、特筆しておきたいのが当時、山田太一さんが「ゆめ風基金」に寄せた言葉だ。
〈スポーツで勝って、コンサートをひらいて元気を「与える」という人が多くてムカつきます。どうして上から目線なのでしょうか〉