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「ぼろぼろ五輪」満身創痍で開催強行
失敗の責任問う声高まる
本田雅和|2021年8月3日7:05PM
「虚偽と利権で誘致された」と批判されてきた東京五輪は、7月23日の開会式から17日間の公式会期に入った。式典は、演出責任者がホロコースト(ユダヤ人虐殺)を揶揄する発言の発覚で解任された翌日、「予定通り」に強行された。選手団や関係者に新型コロナウイルスの感染が広がり、選手の逃走・行方不明事件まで起き、開会式の楽曲の作曲担当は障害者へのいじめ発言で辞任……すでに満身創痍の「ぼろぼろ五輪」の様相だったが、直近の式典ディレクターの解任劇は、五輪推進の体制側の綻びに、「失敗の責任」を問う声が高まりだしたことを示している。
東京五輪組織委員会が22日に解任を発表したのは、開閉会式の制作・演出全般に調整役として携わる「ショーディレクター」、元お笑い芸人コンビ「ラーメンズ」の小林賢太郎氏(48歳)。
本人が発表したコメントなどによると、「思うように人を笑わせられなくて、浅はかに人の気を引こうとしていた頃」の1998年、若手芸人を紹介するビデオソフトの中で、ネタ出しのやり取りの一つとして、大量の「人の形に切った紙」を前に「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」を提案した。相方との会話で「放送できるか!」と突っ込む、当時のコントがインターネットに紹介されている。
確かにレベルの低い差別的揶揄だが、23年前の話である。その3年前には文藝春秋の雑誌『マルコポーロ』が「ナチ『ガス室』はなかった」とする論文を掲載し、反ユダヤ主義を監視する国際人権団体、サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC、本部・ロサンゼルス)からの激しい抗議と広告ボイコット運動の提起を受けて廃刊に追い込まれるという言論界の大事件があった。当時『朝日新聞』記者だった筆者も、編集者の歴史認識を問うキャンペーン記事を紙面展開した。
その後も続く歴史修正主義者による歴史事実否定の言説や揶揄と差別を容認する日本社会の脆弱さはあるものの、これが五輪開幕直前の21日深夜に亡霊のように突然浮上したことを知った筆者には、その理由が解せなかった。
しかも、今回も再びSWCが前面に出て、発覚の数時間後には国際的抗議の意思表示をしたのだ。数日前の開会式楽曲担当者のいじめ容認発言発覚のときは、組織委が本人の謝罪を受け入れ、いったんは「続投」の意向を示した後の「辞任」だったが、今度はほんの数時間で「解任」を即決。橋本聖子会長が「外交上の問題もある。早急に対応しなければということ。大変反省している」と述べ、その「脅えぶり」が伝わってくる。
【防衛副大臣によるユダヤ人団体への通報】
コロナ対策や障害者対応など、差別や人権に敏感とはとてもいえなかった組織委や日本政府も、SWCはそれほど怖いのか?
実はこの解任劇の背後には現職の防衛副大臣の中山泰秀・衆院議員(50歳)がいた。その経緯を中山氏本人がツイッターなどで自ら明らかにしていた。
もともと親イスラエル派として知られる中山氏は21日未明、支持者からの情報提供で「小林賢太郎氏のユダヤ人に関する過去の発言について」という通報を受け、「早速SWCと連絡を取り合い、お話をしました。センターを代表されるクーパー師から以下のコメントがありました」と英文コメントをそのまま公表する。
いわく「いかに創造的な能力の持ち主であろうとも、ナチスのジェノサイドの犠牲者を侮蔑する権利はない。ナチスは障害者をもガス死させた。この人物の東京五輪へのいかなる関与も600万人の無実のユダヤ人とパラリンピックへの決定的な侮辱になろう」(筆者訳)。22日午前3時すぎのことだった。その後の日本政府や組織委の「早わざ」の経緯は前述した通りである。
「中山副大臣は安倍―菅政権につながる自民党の主流、細田派の中堅ですよ」
近代五輪のもつ差別性や「カネまみれ」体質を批判してきた鵜飼哲・一橋大学名誉教授(フランス文学)も「自民党中枢からの批判」を指摘して驚きを隠さない。そのうえで、SWCの狙いは東京五輪という「小さなターゲット」ではなく、IOC(国際五輪委員会)そのもの、トーマス・バッハ会長の体制に対する「牽制であり攻撃」だとみる。
国連のオブザーバー資格を持つIOCの会長にバッハ氏が就任した2013年9月、SWCは国連に以下の2点を要求する公式レターを出しているからだ。(1)バッハ氏はイスラエル製品をボイコットする方針を取るアラブ・ドイツ商工会議所の会頭であり、平和の祭典を担う人物としてふさわしくなく、会頭職の辞任を求めるべきだ(2)1972年の五輪ミュンヘン大会でのパレスチナゲリラによる人質作戦に関連して死亡したイスラエル選手ら11人への黙とう要求を、IOC副会長時代のバッハ氏はロンドン五輪で拒絶したが、五輪開会式典に黙とうを加えるべくIOCに働きかけるべきだ――。
今回の開会式では「黙とう」が取り入れられたが、特定の犠牲者ではなく、「亡くなった愛する人々」すべてが追悼の対象だという。