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混迷のアフガニスタン──タリバーン、親米軍閥、ISの三つ巴内戦化を避けるためには?
本田雅和|2021年9月18日3:36PM
筆者もまた、旧ソ連の傀儡政権と言われたナジブラ大統領(後にタリバーンが処刑)治世下の1988年春にカブール周辺に入って以来、2001年10月開戦のアフガニスタン戦争の取材などで数度にわたり現地に長期滞在してきた。
「開戦」前から、北部同盟と呼ばれるマスード将軍派の親米軍とタリバーンの戦闘が展開されていた北部戦線を回りながら取材を続けてきた。日本の戦国時代のように各地に群雄割拠する軍閥が合従連衡していく情勢の中、北部同盟の兵士になるか、タリバーン兵になるかは、生まれ故郷がどちらの勢力に支配されていたかでおおむね決まってしまう。
早ければ13~14歳で「元服式」をして、旧ソ連軍から奪取したカラシニコフ銃を与えられて少年兵になっていく。
カブール北方の町・チャリカルでは、バザール(市場)への空爆直後に現場に駆けつけた。即死した父親の亡骸に泣きついていた少年は、長老からカラシニコフ銃を手渡され、「これでアメリカに復讐せよ」と諭されている場面を目の当たりにした。
谷山さんも「タリバーンより米軍の方がはるかに怖かった」とふり返る。NGOのスタッフやその家族ら、明らかな民間人が銃撃されることも、決して珍しくはなかった。08年にはJVCのスタッフ関係者が出席していた結婚式を米軍に空爆されている。タリバーンには航空機も、空軍もない。