ロシア軍のウクライナ侵攻に関する、サパティスタの二つの声明
2022年4月18日1:33PM
※以下の声明文は、『週刊金曜日』4月15日号30~32ページ掲載の「ゼレンスキーも否、プーチンも否。戦争を止めよ」記事中に掲載した、3月2日付のサパティスタ(EZLN)声明文の抄訳の全訳版です。3月9日付声明文についても全訳を掲載しました。訳者は、前掲記事執筆者の太田昌国さんです。
サパティスタ第6宣言(*1)委員会、メキシコ
戦闘のあとに風景を見る者はいないだろう (ロシア軍のウクライナ侵攻について)
【1】2022年3月2日
命のための宣言(*2)
署名者へ 国内および国際的な、第6宣言賛同者へ 同志、仲間の皆さん ヨーロッパと呼ばれる地域で現在起こっている事態について、私たちの言葉と考えを伝えたい。
1)侵略している勢力はロシア軍である。渦中にある双方ともに、大資本の利害が関わっている。片方は錯乱状態にあり、他方には経済的な計算ずくの狡猾さがあるが、その双方にいま苦しめられているのは、ロシアとウクライナの民衆自身に他ならない(そして、おそらく遠からずのうちに、地理的に近い、遠いにかかわらず、すべての民衆もまたそうなるだろう)。われわれサパティスタは、どちらかの国家に与することはしない。体制と対峙し、命のためにたたかう人びとと共にある。
北アメリカ軍(*3)を頭目とする多国籍軍がイラクに侵攻したとき(もう19年前のことだ)、この戦争に反対する動きが世界中で巻き起こった。まっとうな判断力を持つ者は誰しも、侵攻に反対するからといってサダム・フセインの側に立つわけではないことを自覚していた。今回の状況は、それと同じではないにしても、酷似している。ゼレンスキーも否、プーチンも否。戦争を止めよ。
2)さまざまな政府がどちらかに与しているが、経済的な打算に基づく選択だ。そこに、人道主義に基づいた評価はない。これらの政府やその「イデオローグ」にしてみれば、介入・侵略・破壊には良いものもあれば悪いものもある。お仲間がやっていれば良いものであり、反対の立場の者がやっていれば悪いものなのだ。ウクライナへの軍事侵略を正当化するプーチンの犯罪的な演説に対する喝采は、次の場合には、正当化のための同じ言葉が嘆きのそれに転化するだろう。すなわち、別な民衆に対する侵略が起こっても、それが大資本の喜ぶところではない場合には。
「ネオナチの圧政」から人びとを救うためにという口実で、あるいは、隣にある「麻薬国家」に終止符を打つためにという口実(*4)で、他の地域でも侵略が起こるだろう。そして、プーチンのそれと同じ言葉が繰り返されることだろう。すなわち、「非ナチ化しよう」(あるいは、同じようなものもあろう)とか、「人民に迫りくる危険」を「論証」する言葉が溢れかえるだろう。われわれのロシアの同志たちは言っている。「ロシアの爆弾、ロケット、銃弾はウクライナ人に向かって飛んでいく。彼らの政治的意見がなんであれ、話している言葉が何であれ、お構いなしに」。〈国籍〉を変えるだけで、同じ言葉が語られ続けるのだ。
3)「西側」の大資本とその政府は、状況が悪化していく様子を、座して見守るばかりだった-否、焚きつけさえしていた。その後ひとたび侵略が始まってからも、ウクライナが抵抗できるかどうかを見ているだけだった。いかなる結果になろうとも、そこで何が獲得できるかを計算しながら。ウクライナが抵抗するならば、「援助」という納品書を発行し始めればよい。その費用は後になって回収されよう。ウクライナの抵抗に驚いたのは、プーチンだけではなかったのだ。
この戦争の勝利者は巨大な軍産複合体と巨大資本である。なぜなら、彼らはこの機会を捉えて、土地を征服し、破壊しかつ再建する、つまり新しい商品と消費者および個人の市場を作り出すためのものと見ているのだ。
4) われわれは、マスメディアやそれぞれの陣営のソーシャルネットが流すもの――それは、双方がそれぞれ「ニュース」として提示するか、あるいは突然増殖してきた地政学専門家なる者や、ワルシャワ条約機構かNATOに恋い焦がれる者たちが行なう「分析」でしかない――には頼らない。われわれは、自分たちのように、ウクライナとロシアで命のためのたたかいに力を尽くす人びとを探し求め、その人びとに問いかけるのだ。
われわれサパティスタ第6委員会は、地理的にロシアとウクライナと呼ばれる地にいる、抵抗と叛乱の渦中にあるわれわれの家族と接触を何度も試みた挙げ句に、それを実現することができた。
5)つまり、これらわれわれの家族は、絶対自由主義の旗を掲げているだけではなく、ウクライナはドンバスにおいて確固として抵抗し、またロシアにおいては路上で、そして農村で、行進したり活動したりしている。ロシアでは、戦争に抗議することで逮捕されたり殴打されたりしている。ウクライナにおいてはロシア軍によって死者が出ている。
彼ら自身が結合し、彼らはわれわれと共にある。戦争に「否」の声をあげているだけではない。人びとを弾圧する政府に「連なること」にも反対しているのだ。
渦中の両陣営は混乱を極めている。われわれの仲間はそのなかにあって、その信念を、解放のためにたたかう確信を、国境と国民国家を拒絶する気概を、旗幟を変えただけの、それぞれの地での弾圧に反対する気持ちを堅持している。
われわれに可能な手段を駆使して、彼らを支援することはわれわれの義務である。言葉をかける、イメージを伝える、歌をうたう、踊る、拳を挙げる、抱擁する――たとえ地理的に離れていようとも――それらもまた、彼らの心を励ます支援の在り方である。
抵抗することは、持続し根を張ることである。これらの家族の抵抗を、つまり命のための闘争を支援しよう。それは彼らへの義務であり、またわれわれ自身の義務でもあるのだ。
6)以上の目的を達成するために、国内外の第6宣言賛同者に呼びかける。まだ行動を起こしていないところでは、日程、地理、方法を考慮して、戦争反対の抗議を行ない、彼らの地で自由な世界のためにたたかうウクライナ人とロシア人への支援を行なうことを。
同時にウクライナにおける抵抗への経済的な支援を、今後しかるべき時期に明らかにされる口座を通して行なうことを訴える。
一方でEZLN第6宣言委員会は、ロシアとウクライナで戦争に反対してたたかう人びとへの支援を、些少だが独自に送ってきている。またSLUMIL K’AJXEMK’OP[叛乱の地](*5)において、われわれの家族と接触を図り、ウクライナで抵抗する人びとを経済的に支援する基金を創設する活動を開始した。
口先だけではなく、断固として叫ぶのだ。叫び、要求しようと訴えるのだ――ロシア軍はウクライナから撤兵せよ、と。
戦争はもう止めなければならない。もしも続けられるならば、そして予想されるようにさらに拡大するならば、おそらく戦闘のあとに風景を見る者はいないだろう。
【2】2022年3月9日
サパティスタ共同体は、SLUMIL K’AJXEMK’OP[叛乱の地]の諸個人、グループ、集団、組織、諸団体との取り決めに基づいて、現在地球上のさまざまな地域で行なわれている、資本家を頭目とする〈すべての戦争〉に反対して、動員とデモを行なうよう呼びかける。ウクライナだけではない。パレスチナの、クルドの、シリアの、マプーチェ民族(*6)の、惑星上のすべての先住民族の、要するに、攻撃され、迫害され、暗殺され、沈黙を強いられ、歪められているところの、絶対自由を求めるすべての過程に関わるものとして。
この呼びかけに応えて、われわれは2022年3月13日(日)の集会とデモに参加することにした。体制が世界中で仕掛けている戦争に反対する行動を、こうして続けるだろう。
地域がどこであれ、資本のための戦争に反対する世界的なキャンペーンを行なうことを呼びかける。コンサートを、集会を、フェスティバルを、会合を。すなわち、戦争に反対する芸術を。
メキシコと世界の、すべての正直な人びと、グループ、共同体、組織、運動体に呼びかける。それぞれがもつ時間と方法に合わせて、かつ自らの自立性と自治を維持しながら、13日日曜日に始まる、戦争の停止を要求する行動に結集しよう。
サパティスタ共同体は、2022年3月13日、日曜日、自らのカラコル(*7)で、サン・クリストバル・ラス・カサス周辺の各村で、すなわちヤハロンで、パレンケで、オコシンゴで、ラス・マルガリータスで、アルタミラーノ(*8)で、そして街道筋の村々で、デモに参加するだろう。
すべての戦争に抗して、すべての芸術を、すべての抵抗を、すべての叛乱を!
メキシコ南東部の山岳部から
サパティスタ第6宣言委員会
2022年3月 メキシコ
【訳註】
(1)2005年6月に発表された「第6ラカンドン密林宣言」を指す。1994年1月1日の蜂起に際して「第1ラカンドン宣言」が発表されており、以後、闘争の節目に新たな宣言が発表されてきた。ラカンドンは、サパティスタが住まう地域の地名のひとつ。軍事に拠らない平和的な闘争を展開すること、先住民共同体の民主的な意思決定に基づいてのみ行動することを誓ったこの声明は、その後のEZLNの理論・行動の規範となっており、以後の発言においては、この「第6ラカンドン宣言」の趣旨に賛同する内外の人びとの存在を前提として、「第6宣言の」という規定の表現が使われることが多い。
(2)2021年1月1日に発表されたEZLNの声明文で、「世界じゅうの民衆、5大陸でたたかう人びと」に宛てられたもの。「人類が平等であるのは、お互いの違いを尊重すること」で初めて可能になるという立場から、世界にはさまざまな観点から見てどれほど異なる人びとが住んでいるかと強調している。そのうえで、「命のためのたたかい」という一点で協働できる場を作り出す討論と経験の交流のために、21年7月から10月にかけて欧州使節団を派遣する計画を明らかにしている。以後、自らに可能な範囲で、アジア、アフリカ、オセアニア、アメリカの各大陸への使節団派遣も検討するとしている。
(3)「アメリカ」といえば「アメリカ合州国(USA)」を意味すると捉えるのが、日本における一般的な意識だが、USA以外のアメリカ大陸に住む人びとの多くは「アラスカ」から「パタゴニア」までを、カリブ海域も含めて「アメリカ」と意識している。したがって、USA軍のイラク戦争に触れたこの箇所では、ejército norteamericano (北アメリカ軍)と表現されている。来年2023年は、米国が「モンロー教義」を発表した1823年から数えて200周年目を迎える。米国はこの教義を通して、「米州人のための米州」を謳いつつ、実質的には「米国人のための米州」を打ち出した。その後彼の地で展開された歴史は、米国の思う通りに事態が進行したことを証している。
(4)2011年に原書が刊行された、ヨアン・グリロ『メキシコ麻薬戦争――アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(現代企画室、山本昭代訳、2014年)が描いているが、米国と国境を接するメキシコは、麻薬に対する前者の飽くなき需要を満たすための一大根拠地と化している。資本制社会にあっては通常では称賛される「需要と供給」の安定した相互関係が、「需要先の事情」を差し置いて、一方的に、いつ「供給」側の排他的責任とされるかもしれない事情を、この文言は暗喩している。
(5)チアパスに住む先住民族ツォツィルの母語で「叛乱の地」を意味する。ヨーロッパへの使節団を派遣して以降の、関連する声明では、「ヨーロッパ」をこのように表現する場合が数多く見られる。
(6)チリに住む先住民族。その権利獲得闘争は、歴代政権下で厳しい弾圧の対象とされる場合が多く、ラテンアメリカ全体を通して見ても、そのたたかいにはとりわけ関心が寄せられている。
(7)サパティスタ運動の本拠地がある地域を、自らcaracol(貝殻)と呼んでいる。
(8)いずれも、サパティスタが自主管理している町村名である。
【翻訳・訳註=太田昌国】