コソボで見た星条旗
〈編集委員コラム 風速計〉
崔 善 愛(チェ ソンエ)
2022年7月15日7:00AM
2010年10月、私はマケドニア(現・北マケドニア)の第二の都市ビトラと首都スコピエでの演奏会を終え、コソボの首都プリシュティナでの国際音楽祭に向かっていた。いわゆる「コソボ紛争」から10年余りが経っていたが、「民族浄化」という名のジェノサイド(集団虐殺)が繰り返され、さらにNATO(北大西洋条約機構)による空爆で多くの市民が亡くなった「現場」だ。
車で山道を数時間走ると山間の国境に入国管理の審査ゲートが二つ。緊張して係員にパスポートを見せると「North or South?」(北か南か?)と聞かれ、「South Korea」(韓国)と応えたが、もし「北」だったらどうだったのか。私たちは国籍によって運命が決められるのだ。
プリシュティナの街は再建の活気にあふれていた。にぎわいを見せる大通りにはクリントン元米国大統領の大きな銅像。その前は「ヒラリー通り」。宿泊したホテルの入口には星条旗がたなびく。公園のベンチに座っていた高齢の女性に「クリントン大統領の像に驚きました」と話すと、「あの戦争は最悪だった。でもNATOとアメリカのおかげで救われた」と言う。
たしかにNATOの武力攻撃は結果として、一時的に戦闘を終わらせたかもしれない。しかし、「対立」は本当に終わったのだろうか。
6月23日、ウクライナがEU(欧州連合)の加盟候補国になった。ロシア外務省報道官は「EUはロシアを封じ込めるために(旧ソ連諸国で構成する)CIS(独立国家共同体)の勢力圏を侵食し、地政学的に利用しようとしている」と非難した。ロシアがウクライナへのさらなる侵攻の口実に使うことにならないか。
米国は日本への原爆投下で「戦争を終わらせた」といまも主張している。
数年前、ソウルの世宗文化会館前の大通りを歩いていたら「朝鮮戦争」の写真パネル展が開かれていた。米軍上陸で韓国は守られたと主張するものだった。
米軍は朝鮮半島を本当に救ったのだろうか。38度線は米国が提案し、旧ソ連が同意した。その米国は朝鮮戦争でも「核使用」をちらつかせた。
「北か南か」「ロシアかアメリカか」と分けられてゆく世界。アメリカもロシアも核も私たちを守りはしない。「保護」という名の「支配」が、武力で貫かれていく。
(2022年7月8日号『週刊金曜日』)