連合赤軍事件になぜ私がこだわるか
〈編集委員コラム 風速計〉
雨宮 処凛
2022年7月22日7:00AM
6月18日、「あさま山荘から50年 シンポジウム 多様な視点から考える連合赤軍」に登壇した。
警察との銃撃戦、その後発覚した、山での12人の「同志殺し」。世間を大いに騒がせた事件だが、事件当時、私は生まれていない。しかし、20歳頃、「昭和を振り返る」系の番組で「政治の季節」の若者たちの姿を見た時は衝撃を受けた。連合赤軍にではない。「革命」などと突拍子もないことを口にして、「世界を変えられる」と本気で思っていたっぽい当時の若者たちにだ。
かたやそんなテレビを見る自分は、1990年代の日本で「とにかく半径5メートル以外のことは考えずに恋愛と買い物だけしてろ」と言われているような日々の中、死ぬことばかり考えていた。
よくわからないけど、「革命」とか言ってた人に会ってみたい。だけどどうやら今の日本では絶滅したっぽい――。そんな時、サブカル系のイベントで、新右翼の鈴木邦男氏と出会う。同じ頃、獄中20年の刑期を終えたばかりの元「赤軍派議長」が出るイベントにも行ってみた。そうしたら「世界同時革命」とか言っていて、さらに突然「北朝鮮に行こう!」と誘われて初の海外旅行で平壌へ。同年、一水会の木村三浩氏に誘われてイラクへ。このように、右翼・左翼と呼ばれる人々との出会いから人生がおかしくなったのだが、その間も連合赤軍事件は、ずっとひっかかっているものだった。
なぜなら、あの事件と、現在この国に強固に存在する「自己責任論」とは切っても切れないように思うからだ。たとえば私があえて右翼や左翼と呼ばれる人々に興味を持ったのは、「若者に政治が禁止されるような空気」の中で育ったからだ。
それまで、社会への不満を口にすると「社会のせいにするな」と口を塞がれてばかりだった。が、あらかじめ政治や社会への回路が閉ざされると、さまざまな問題はすべて「個人の責任」となる。だからこそ私は、フリーター生活から抜け出せなくても「自分が悪いのだ」とリストカットを繰り返していた。周りも似たようなものだった。私は連合赤軍の「子ども世代」にあたるが、親世代が「革命」に燃えていた年頃に、私の周りにあったのは「ネット心中」だった。死に向かうための連帯だ。
シンポジウムでは、そんなことを話した。事件から半世紀。今も考え続けている。
(2022年7月15日号)