秋葉原無差別殺傷事件、加藤智大元死刑囚を追いつめたもの
渋井哲也|2022年8月23日7:46PM
7月26日午前、秋葉原無差別殺傷事件で死刑が確定した加藤智大死刑囚(39歳)の刑が東京拘置所で執行された。死刑執行は岸田文雄内閣では2人目だ。
加藤死刑囚は14年前の2008年6月8日、東京・秋葉原の当日歩行者天国になっていたエリアに2トントラックのレンタカーで突っ込んだ。通行人をはねた後にトラックを降り、持っていたナイフで周囲にいた人たちを刺し、7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた。裁判では東京地裁(11年3月)、東京高裁(12年9月)がともに死刑を言い渡し、15年2月に最高裁が上告を退け死刑が確定。今年7月22日、古川禎久法務大臣が死刑執行の命令書に署名した。
加藤死刑囚は1982年9月に青森県五所川原市で生まれた。01年3月に同県立青森高校を卒業後は自動車整備に関連する短大に入学し、同校卒業後は各地の派遣会社などを転々とした。事件3日前の08年6月5日は派遣先で午前6時過ぎから早番勤務だったが、自分の作業服が見つからずに「この会社は自分を舐めている」と激怒し早退・欠勤。翌日、犯行に使用したのと同型のナイフを福井市で購入したことが確認されている。
こうした情報から動機をめぐり当初は非正規雇用の問題がメディアで語られることが多かった。しかし東京地裁での公判開始後、彼はネット掲示板でのトラブルについて証言する。たとえば犯行の直前にはその掲示板に「秋葉原で人を殺します」というスレッドを立ち上げ、同日の5時21分には次のような犯行予告をしていた。
「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います/みんなさようなら」
さらに自分自身や友人への思いなどを語った後、トラックで都心へ。11時45分に「秋葉原ついた」「今日は歩行者天国の日だよね?」と書き込み、事件を決行した。
【掲示板での異変が発端】
その掲示板は「2ちゃんねる」のような巨大掲示板ではなく携帯電話専用のもの。これについて加藤死刑囚は次のように証言した。
「私が使っていた掲示板は高校のクラスのようなもの。2ちゃんねるは大学のようなもの。高校のクラスだとお互いの顔を知っていますが、大学だと知っている人は少ない。ほとんどが他人です」
「私にとっては家族のような。家族同然の人間関係でした」
その掲示板では身近な友人どうしのような感覚のコミュニケーションができていた。彼にとってはそこが居場所だった。しかしそこである時、彼と掲示板の管理人とのトラブルが発生する事態が起きてしまった。そのためスレッドの“引っ越し”をしたが、そこでも荒らし(他者が不快に感じるような書き込みをするユーザー)やなりすまし(文字通り他者になりすまして誹謗中傷などを書き込むユーザー)が現れる。当時の感覚を彼はこう証言した。
「人間関係を乗っ取られたという状態になりました。帰宅すると、自分そっくりな人がいて、自分として生活している。家族からは私がニセモノ扱いされてしまう状態です」
彼は、本物は自分であることを証明しようと思った。「事件を起こさなければ、掲示板を取り返すこともできない。愛する家族もいない。仕事もない。友人関係もない。そういった意味で居場所がない」。そうした自己暗示の末に、犯行を実行してしまった。
事件後、彼は被害者に謝罪の手紙を出した。計4冊の著書も執筆した。だが事件を起こさなければならなかった真の理由ははっきりとは読み取れないままだった。
彼が仙台で勤務していた時の同僚だった大友秀逸さん(46歳)は7月26日朝、報道を見た複数の知人からのメールで執行を知った。翌日も通勤中の電車から彼のいた東京拘置所を見ていたといい、「(事件後)加藤君と会うことすら叶わず、本当に拘置所にいるのか実感がありませんでした。執行の報道をうけ、本当にいなくなったんだなというなんとも言えない感情を抱きました」と、心の整理ができない様子を語っていた。
(渋井哲也・フリーライター、2022年8月5日号)