原発予定地の山口県上関町で11年ぶりの町長選
山秋真・ライター|2022年11月2日7:00AM
中国電力が原発の新設を計画する山口県上関町で10月18日、前町長の辞職に伴う町長選挙が告示された。1982年の計画浮上から2011年秋まで同町では計画推進・反対の双方が町長候補を擁立。前者が選挙を制してきた。だが東京電力の福島第一原発事故後、前町長は原発財源に頼らない町づくりを唱えて町営の風力発電による売電など自主財源を模索。それを受け、原発予定地・田ノ浦の対岸にある祝島の「上関原発を建てさせない祝島島民の会」(島民の会)は直近2回の町長選で候補者の擁立を見送った。
今回も無投票かと思いきや、立候補を期待された副町長は固辞。原発計画を推進する団体の会長を以前8年間務めた、町議会の西哲夫・前議長が立候補を表明した。
西氏は10月4日の記者会見で、岸田文雄首相が8月に次世代型原発の建設に言及したことで「勇気をもらった」と発言。
原発の新設は想定していないとの政府方針の転換に危機感を覚えていた島民の会は候補者の選定を急ぎ、同会運営委員の木村力氏が9日、町長選立候補を表明。西氏の辞職に伴う町議会議員の補欠選挙にも、祝島在住の珈琲店主・堀田圭介氏が立候補を決意した。
18日午前9時、木村候補は道の駅「上関海峡」で第一声をあげた。
「立候補のきっかけは政府の原発推進の動きだ。福島では原発事故による放射能汚染で故郷に帰れない人が何万人もいる。その犠牲を忘れて、また原発をつくろうとするのは無責任。黙って見ているだけでは、いつの間にか上関にも原発を建てられてしまう。原発に反対して40年も抵抗した祝島の先輩方の思いを受け止め、白紙撤回への道筋を考えたい。祝島の漁師に残っている田ノ浦の漁業の権利を行使しつづけ、明るい町づくりの見通しがたてば、中電に諦めさせることができる。原発に頼らない町づくりに町が取り組んだこの10年、それまで町民の間に深まっていた溝は浅くなった。だが政府の発言で、また警戒心が生まれた。やはり原発白紙撤回までたどり着かないと原発マネーに乱される。誇らしい上関町の歴史を子どもたちに残すことは、大人の責任だ」
堀田候補も、10年前に祝島へ移住して子育てしつつ起業した経験やノウハウで「上関町の明るい将来、楽しい町づくりの力になれるのでは」と思いを述べた。海峡の対岸では西候補が「原発が唯一の町の起爆剤」と第一声をあげた。
「票ならカネ」のささやき
「3・11後は黙っているほうが得策だったのだろう、原発の論戦は過去10年の議会で1回もない」と前上関町議の山根善夫さんは指摘。だが11年ぶりの対決となった町長選で「西候補は今までになく街頭演説を始めた」。祝島の集落へも渡り「高齢化率77%を超える祝島が20年、30年先に存在するのか。原発で働くなどすれば島の賑わいも保てる」と訴えたという。
投開票日(23日)前日、「浮動票はない。あそこの一票を変えようと思ったらカネだ」と話す男性の声が町角で聞こえた。木村候補は「原発は上関町の予算300年分の1兆円を費やし建てる。そこにまとわりつく犠牲の影を背負う町づくりでなく、地域の景観や人を生かす観光を軸に知恵と工夫で明るい町づくりを」と最後の訴え。西候補は「勝てばいい選挙ではない。得票率は何%出るか」と支持者を引き締めた。
結果は投票率74・97%と過去40年で最低となる中、木村候補は486票を得るも及ばず、西候補が1154票を獲得して当選した。
「(祝島にはかつてほど)人数がおらん」との声も聞こえたが、祝島の投票率は82・70%を維持。人口減の影響をある程度カバーした。一方で高齢者施設のある地区は投票率58・62%と町内最低で、新型コロナ下の面会制限の影響も考えられる。堀田候補も487票と議席には届かなかったが、今後にむけた「開墾の手応え」を得たと語る。木村氏は「これからも原発の白紙撤回を訴え続ける。人数は少なくなっても、強い気持ちを持った人は必ず残る」と、やれることを粘り強くやる意思を表明した。
(『週刊金曜日』2022年10月28日号)