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いまどき藩閥政治 〈編集委員コラム 風速計〉田中優子
2022年11月4日7:00AM
自民党の改憲4項目の中に、「参議院の合区解消」というのがある。憲法に載せるようなものなのか疑問だった。その真意が、思わぬことでわかった。「安倍国葬」の菅義偉前首相による弔辞である。
「かたりあひて尽しゝ人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」という山縣有朋の歌を引用し、当初は「感動した」という評判だったが、間もなく「それ、安倍晋三氏がJR東海の葛西敬之名誉会長の追悼で使った歌でしょ」ということが判明。しかも「あなたの机には、読みかけの本が1冊、ありました」というのも菅氏の勘違いで、安倍氏は2015年のフェイスブックですでに、この歌が掲載されている本について書いていたという。今年5月の葛西名誉会長の追悼に使うために改めて本を取り出したのか、7年の間にこの本1冊しか読まなかったのか(それもあり得る)知らない。
それはともかく、葛西氏が最も評価した明治の元勲であるという山縣有朋は、日本が自由民権運動を経てようやく国会を立ち上げたその時、国会における政党間の議論を嫌い、藩閥政治にあくまでも執着したのである。藩閥政治、つまり江戸時代の藩単位の郷党的結合によって、薩摩藩と長州藩の武士だった政治家たちが実権を握った時代錯誤の政治である。
自由民権運動は2000社を超える結社によって憲法制定と国会開設に向かった運動だったが、それを弾圧しながら薩長二大藩閥は大日本帝国憲法体制を作り、官僚、軍、枢密院、貴族院などを支配下に置いた。藩閥のトップは長州の伊藤博文と山縣有朋だった。政党を度外視した方法は「超然主義」と言われた。やがて伊藤博文は政党を作って藩閥政治から離れていくが、最後までしがみついたのが山縣有朋である。その山縣が、いわば政敵ともなった伊藤博文に捧げたのが、かの短歌である。
本題に戻ると、自民党は藩ならぬ都道府県の県連を基盤に選挙に勝ってきた。合区が進んで県連の力が弱ることは、甚だ具合が悪いであろう。とりわけ2世、3世の議員にとっては、「家」は「県」に基盤を置くのである。藩閥によって「超然」と国会を軽視し、思うままに軍事力を増強した山縣有朋が、羨ましかったであろう。国葬はこうも、彼らの本音をあからさまにしたのである。
ところで、本当のナショナリストなら歌ぐらい自分で詠んだら?
(『週刊金曜日』2022年10月28日号)