コロシクマ 〈編集委員コラム 風速計〉 崔 善 愛
2022年12月2日7:00AM
今年6月、鹿児島市内でピアノコンサートをした。前日、私を招いてくださった藤明美さんがうたう奄美の島唄を聴いた。悲嘆が滲んでいた。「私のルーツ、奄美の平和が危うくて」。そう話しつつ彼女は一縷の望みを父母の故郷・奄美大島でのコンサートに託していた。そこに立ち会いたくて10月半ば、私も奄美大島へ飛んだ。
彼女の両親は大島紬の職人だったが、戦時中、とりわけ沖縄戦で奄美大島は本土防衛の最前線とされ、鹿児島へ疎開。実家は戦火で焼失した。両親は戦後も鹿児島市で大島紬を織り、鹿児島で生まれた明美さんは、両親のうたう島唄を聴いて育った。
2006年、奄美に帰りたいと切望する母とともに、故郷に家を建て引っ越した。その家の前に陸上自衛隊奄美駐屯地が誘致されたのは3年前。今回の明美さんのコンサート翌日、一緒に駐屯地の出入口まで行った。乾いた銃声が森に響き、巨大な建物が見えた。
いま驚くべき速度で奄美大島が軍事要塞化されている。地元・反対運動のリーダー、城村典文さんは「奄美には二つの基地が誘致され、一方には巨大トンネルが5本も建設予定。今、3本目の建設中で、南西諸島最大級の弾薬庫=軍事施設になります」と警鐘を鳴らす。
基地のある集落の祭りなどの行事では、「奉仕作業」という名目で隊員が手伝うことがある。多くの住民は「ありがたい」とも思っている。その自衛隊がミサイル部隊であり、台湾有事などが起きれば戦争につながるという意識はあっても、小さな集落で声を上げると、異端の目で見られるようになったという。
明美さんは「なんでこんなことになったのか。母は生前『戦争は殺シクマ(奄美の方言で「殺しの競争」の意)。だから戦争が起こりそうなときは血判を押してでも反対しなさい』と言っていた。私は反対の声を上げたい。でも鹿児島で育った〝ヤマトチュ〟の私が簡単に声を出しづらい。苦しく、切り裂かれる思いです」。
今月3日、北朝鮮からミサイルが飛翔、Jアラートが発出された。憲法公布から76年の朝だった。「もういい加減にしてほしい」という街の声がテレビから聞こえる。隣国への恐怖と怒り。かつての「鬼畜米英」はいまやロシア・中国・北朝鮮か。「国を守るため」の「殺シクマ」を断ち切りたい。
(『週刊金曜日』2022年11月25日号)