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世論と手のひら返し
2022年12月23日7:00AM
サッカーワールドカップ・カタール大会が盛り上がりを見せている。日本代表チームは決勝トーナメントに進出したものの、クロアチアとの試合はPK戦の末、敗退。初のベスト8入りを逃した。しかし、選手や監督には「よく頑張った」という称賛の声が向けられ、代表チームは高い評価を得る結果となった。
ただ、どうしても気になることがある。グループリーグの初戦、ドイツに勝利した時は、監督・選手を称賛する声が圧倒的だったものの、第2戦のコスタリカとの対戦に敗れると、ムードは一転し、監督の采配を疑問視する声があふれた。SNS上には罵声に近い批判があふれ、さまざまなところで攻撃的な言葉が目についた。しかし、第3戦で強豪スペインに勝利すると、再び評価は一転して、称賛の声で満たされた。「手のひら返し」が起きたのである。
このプロセスを見ながら、思い出したのは2006年8月15日の小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝についてだった。事前の世論調査では、「参拝すべきではない」が「参拝すべき」を大きく上回っていたが、小泉首相は参拝を強行し、抵抗勢力に屈することなく、断固たる決断を行なったことを強調した。すると、世論調査の結果は一転し、「参拝してよかった」が「参拝すべきではなかった」を上回った。
私は靖国神社への首相の公式参拝はすべきでないと考えている。しかし、参拝すべきと考える人たちの意見は常に尊重しており、そのような論客の文章もできる限り読むようにしている。中には、傾聴に値する部分もあり、「なるほど」と思うこともある。彼ら・彼女らとは十分に議論可能である。
私が怖いのは、靖国参拝を支持する人たちではない。小泉首相の決断に熱狂し、一瞬にして立場を変えた人たちである。こうした人たちの支持は「気分」(センチメント)であって、「意見」(オピニオン)ではない。
私が確信しているのは、こうした人たちこそがファシズムを支える層だということである。小泉首相の靖国参拝後の世論への恐怖心がよみがえってきた。
昔の日本では「輿論」を「よろん」と読み、「世論」を「せろん」と読んで区別した。「輿論」はパブリック・オピニオン(公的な意見)であり、「世論」はポピュラー・センチメント(大衆的な感情)だ。「世論」に流されない社会を構築しなければならない。
(『週刊金曜日』2022年12月16日号)