めまい
2023年1月27日6:33AM
23年前、小さな家を建てた。レッスン室を地下につくる掘削工事中、それを心配そうにのぞきこんでいた隣家のおばあさんは、いま90歳を超えて夫の介護をしておられる。玄関先で顔を合わせるといつも話がはずむ。「ピアノの音がここ数日、聞こえなかったけど、だいじょうぶ?」と母のように見守ってもくれている。
彼女は福島県猪苗代湖近くの神社の娘で、かつて子どもたちに紙芝居をしたときのことなど、神社内での思い出も語ってくれる。その様子は私が育ったキリスト教会の雰囲気とあまり変わらない。
しかし私にとって神社は、台湾や朝鮮半島各地に建てられた侵略の象徴でもある。
1945年の日本の敗戦時、朝鮮半島では独立解放の歓喜とともに各地の神社が燃やされた。それまで、神社参拝に抵抗したキリスト者の多くが逮捕され獄死した。キリスト教徒の父からも神社参拝や「君が代」斉唱が強いられたときの苦悩を聞き、それが私の頭からなかなか消え去らない。隣のおばあさんのような神社の人のぬくもりに触れるまで、神社を遠ざけてきた。
筑豊の地で「朝鮮人強制連行」を記録し続けた作家・林えいだい(1933~2017)も、福岡県田川郡にある古い神社の神主の息子だった。
父・寅治は、炭鉱から逃げ神社の境内の床下で隠れる朝鮮人らに「ナオラ(朝鮮語で『出ておいで』)」と声をかけ、食事を与え、ある人には祖国に帰国する金まで工面した。それを理由に特高に捕まり、1943年拷問を受けた後、亡くなった。えいだいが9歳のときだ。その後えいだいは、神社は「天皇を奉るもの」と神社から離れた。
映画「男はつらいよ」の舞台、東京・葛飾柴又の帝釈天のお寺のように、神社も寺も子どもたちの遊び場であり、初詣や七五三など地域の人々を見守り、安寧を祈る場所だ。その神社で近年、神社本庁や日本会議が「改憲のための署名運動」という政治活動を展開している。
が、神社の内部で「改憲反対」の声は、あがらないのだろうか。いや、先の戦争で国家神道がはたした戦争協力責任についての検証や謝罪はなされたのか。
新年、泉健太・立憲民主党代表は、乃木神社に初詣をした。軍国主義を支えた軍神・乃木大将に手を合わせる、その歴史認識にめまいがする。