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促される出産
崔善愛(チェ ソンエ)|2023年3月10日6:38AM
1月下旬のある寒い日、「本陣痛が始まった」と娘から連絡が入った。その瞬間、自分が娘を出産した、あの激痛の記憶がよみがえり、その痛みがいま彼女に襲いかかるのかとおもうと涙があふれた。
30年前の夏、初産のためにわたしは大学病院の産婦人科に通った。そのころ新聞ではひんぱんに「陣痛促進剤」の弊害が取り上げられていた。
出産予定日前の健診で担当医は、「うーん、まだ産まれそうにないですね。でもあす産みましょう。支度して明朝入院してください」と唐突に宣告。わたしは驚いて「陣痛促進剤を打つのでしょうか。予定日までは自然な陣痛を待ちたいのですが」というと、「いや、あさってぼくは学会で留守にするから、あす産みましょう」。
「『学会のため、産みましょう』って、産むのはだれですか?」といいたくても口には出せない。が同意しようとしないわたしを主任看護師は別室で、「陣痛促進剤は用心して使うから」と説得した。
帰路、促進剤を打たれないようにするため、今晩中に「自力で」陣痛を起こすしかないと、坂道を上ったり洗車したりした。すると深夜12時、陣痛はきた。それから約30時間、気を失いそうな痛みを経て、陣痛促進剤なしで出産した。
出産するかしないかを、医師の都合や、ましてやときの政府の意向などで左右されてはならない。とくに1948年から96年まで約半世紀にわたって存続させた「優生保護法」。国家による命の不当な「選別」に対して異議の声を長年あげなかった医師らとわたしたちの人権意識は問われ続けなければならない。
いま盛んにいわれる「少子化対策」というスローガンも、国力や国の経済など「全体」と「国」のために「産めよ増やせよ、健康な子どもを」と掛け声をあげられているようで薄気味悪い。
無事、出産を終え自宅に戻った娘は、もう母になっていた。産まれたてのわが子を抱き、「この子をみているとなぜか与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』の詩が浮かんでくる」とつぶやいた。そのとき窓の外からパタパタと音が聞こえ、空を見上げると米軍ヘリらしきものが飛んでいた。
軍事基地化される日本と世界。わたしはどんなものを捨て去っても、国家に子ども(たち)を差しだしは、しない。
(『週刊金曜日』2023年3月3日号)