「だめ連」ぺぺ長谷川さんが逝ってしまった
雨宮 処凛|2023年3月17日7:00AM
2023年2月は、これまでで一番「追悼文を書いた月」となった。
1月末、鈴木邦男さんの訃報が入る(鈴木さん追悼文は3月17日号「らんきりゅう」で掲載予定)。
そうして2月なかば、18年共に暮らした愛猫・ぱぴが私の腕の中で息を引き取った。人間にすれば90歳近くで、この3年は闘病生活だった。最後の半年ほどは夜鳴きがひどくなり、今年に入ってからは私が自宅で点滴するようになっていた。身体がしんどいのか、この3カ月ほどは所構わずオシッコするようになったので、家中トイレシートだらけになっていた。毎日のように動物病院に通い、身体を支えて水を飲ませスープを飲ませとなかなか大変な日々だったけれど、少しも苦ではなかった。私にとってかけがえのない娘であり、同志であり親友であり宝物だったぱぴちゃん。
その死からすぐ、ある人の訃報が入った。それは「だめ連」のぺぺ長谷川さん。享年56。
「だめ連」とは、仕事が長続きしない、モテないなどの「だめ」を抱えた若者たちを中心に、ぺぺ長谷川さんと神長恒一さんによって1992年に結成。活動の中心は「交流」で、就職や結婚といった既存の生き方に疑問を唱える彼らの存在は90年代、「新しい生き方」として大きな注目を浴びた。
そんな「だめ連」の2人と、私はよく飲んでいた。2006年、私がプレカリアート(不安定なプロレタリアートという造語、非正規雇用や失業者などを指す)運動に参加した頃からデモなどでよく顔を合わせるようになり、3・11以降はさらによく会うようになった。東京・高円寺の「素人の乱」が「原発やめろデモ」を開催するようになったからだ。デモはもちろん会議やそのあとの路上飲みでいろんな話をした。その「だめ連」のぺぺさんがガンだと知ったのは数年前。だけど、その後も変わらぬ様子でお酒を飲んでいたからそれほど心配していなかった。インドに行っても一人だけお腹を壊さなかったとか、家に南京虫が出るとかの伝説(そして事実)の持ち主だったから、ガン細胞も太刀打ちできない気がしていた。なのに、ぺぺさんは逝ってしまった。
今思うのは、ただただもう誰も死んでほしくないということだ。
だけど、あっちに鈴木さん、ぱぴ、ぺぺさんがいると思ったら、死ぬのがちょっと楽しみな気もする。
(『週刊金曜日』2023年3月10日号)