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中国の英語教育
想田 和弘|2023年4月14日7:00AM
先日、中国の若いドキュメンタリー映画作家たちから要請を受け、オンラインでいわゆる「マスタークラス」を行なった。僕自身のドキュメンタリー作りの方法論や哲学について、質疑を交えながら90分間語らせてもらった。中国では、拙著『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』の中国語版が数年前に出版されている。この本がなぜかよく読まれていて、参加者の皆さんもびっくりするほど読み込んでくれていた。おかげで、とてもハイレベルな議論ができた。
クラスでの使用言語は、英語である。いちおう通訳の方も待機していたが、参加者からの質問のほとんどは英語で直接なされ、通訳の出番はほとんどなかった。そして、僕はそのことに軽く衝撃を受けた。
というのも、十五、六年前までは、国際映画祭等で出会う中国の映画作家は全く英語を話さないのが普通で、コミュニケーションを取るのが難しかったものだから。
いったい最近の中国で何が起こったのだろう? そう思って少し調べてみたら、中国では2001年に小学校1年生ないし3年生から英語教育を義務化していたらしい。しかも内容的には「正しい英語」というよりも「使える英語」を目指して。
東洋経済オンラインによると低・中学年では歌や遊びを使って英語の楽しさを経験してもらい、文法は高学年になるまで教えない。また、英語教師の質を高めるため、海外研修に積極的に派遣する。そういう国家を挙げた教育事業の成果が、いま、早くも現れているのである。
良くも悪くも、英語は世界の共通言語のようになっている。国境を越えて活動するためには、どうしても必要不可欠だ。また、英語が読めたり話せたりするだけで、世界も視野も活動領域も飛躍的に広がる。中国政府が英語を「国民的資質」と位置づけ、実践的な教育に力を入れているのも、そういう現実を見据えてのことだと思う。
一方、日本でせっかく何年も英語教育を受けても、話せるようになる人はほとんどいない。僕も米国に留学した当初は、話したり聞いたりするのに大変苦労したものだ。実にもったいない話である。
そろそろ日本も、英語教育を抜本的に変えられないものか。それには発想の転換と予算と人が必要だろうが、中国ではたった20年で驚くような成果が得られているのである。不可能ではないはずだ。
(『週刊金曜日』2023年4月7日号)
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