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ジャーナリスト・松井やよりが果たした役割とは 「全仕事」企画展を開催中
本田雅和・編集部|2023年5月17日7:00AM
リブの批判も受け止め
高橋さんはデータベースを作成する中、「須賀晶子」というペンネームの由来や数カ月でものにしたフランス語の学習方法などを記した資料を見つけたことも紹介。松井さんが自分の記事などに対する評価や批判もこまめに集めて保存していたことも発見した。当時の「ウーマンリブ」活動家が松井さんの著作を酷評する雑誌記事には批判箇所に丁寧に傍線を引いて気にかけていたことも明かした。
「松井の思想は階級とは無縁なものである」「あらゆる面で擁護されている朝日新聞の記者」「特権的立場にいることに無自覚である」などだ。当たっていると思う向きもあるかもしれないが、松井さんとしては身内ともいえるリブからの批判には「現場取材に基づいて当事者に寄り添い、『じぶんごと』としてきたのに」と悔しかったに違いない。同じ職場の後輩記者として、その激しい性格も身近に見てきた筆者としては、コメントなしに保存しているということ自体、彼女はきちんと受け止め、糧にしていたのだと思う。
「じぶんごと」という松井さんの口ぐせは、高度成長期に日本人男性による韓国や台湾への買春ツアーブームを告発したときも、「買わない男」の存在を念頭に置いていたことからもわかる。男性もまた「じぶんごと」と捉えることでアジアの被害女性に共感し、連帯できるはずだと信じていたのだ。一方で「買う男」に対しては『朝日新聞』も含めたマスコミ特派員の海外での買春行為を名指しで批判するなど、容赦なかった。
彼女がまさに命がけで取り組んだのが「慰安婦」問題の責任を問う「女性国際戦犯法廷」だった。「買う男」たちの家父長制国家を「加害国の女」が「じぶんごと」として捉えた成果だった。その2年後、がんで帰らぬ人となった。
生涯書きまくった松井さんの熱意の背後にあったのは何か。差別と不正義への「怒りの持続」だったと高橋さんは見る。
企画展では、東京・渋谷の山手教会の牧師となった夫妻の長女として生まれた松井さんの幼年・青春時代のアルバム写真から記者・市民運動家としての活動中の写真パネルや記録、手紙なども展示されている。12月24日まで。
(『週刊金曜日』2023年5月12日号)
※https://db.wam-peace.org/yayori/