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島田雅美さんを悼む
崔 善 愛(チェ ソンエ)|2023年6月2日7:00AM
英国新国王の戴冠式をニュースで見た。政教分離はどこ吹く風。君主とキリスト教会が一体化した国家の在りように改めて疑問を抱いた。植民地支配と奴隷制度によって栄えた大英帝国。その精神的支柱としてのキリスト教会の苦い歴史。搾取され略奪され続けた人々は、何を思っただろう。式典当日、ロンドンでの反対デモもテレビに映し出され、今も君主制を支持する人は若い世代で約3割に留まると報道された。
一方、日本の大手メディアは、象徴天皇制を問うこともなく、一定数いる反対の声を拾うこともしない。
生涯をかけて天皇制の責任を問い続けた島田雅美さん(1947年生まれ)が4月25日、がんで亡くなった。76歳だった。
私の指紋押捺拒否闘争に関する二つの裁判で、最高裁判決が出るまでの約20年、彼女は欠かさず大分から傍聴・支援にかけつけてくれた。そして島田さん自身も90年の大嘗祭で、大分県の田の「穂」を神道行事で使用し、知事が「主基斎田抜穂の儀」に参列することは「政教分離の原則」に反するとして県を91年に提訴した。
2002年7月9日、最高裁第三小法廷に彼女の声が響いた。
「たった18秒ですか? 大分県から東京まで1日かけて来たのに、判決理由くらい言うんじゃないですか。これじゃあ最低裁判所だわ」。敗訴だった。
この「抜穂」違憲訴訟に踏み込むや彼女は公安警察官に尾行され、話しかけられたり取り囲まれたりすることもあった。「いつも監視され気持ち悪い」と言っていた。
11年3月の福島原発の事故後は、同年7月4日から毎日朝夕2回「原発いらない」のプラカードを掲げて九州電力大分支店前に立ち続けた。「休んだのは1月1日と2日だけ。4000日を超えました」とパートナーの晋さんは話す。
「彼女が反天皇の活動に入っていったのは、私の影響だと思う。私の父は北海道の北見市長選に出たり、労働運動で活躍しましたがレッド・パージに遭い、職を失いました。当時、私は小学生でその意味がわかりませんでしたが、この国を問う基盤になっています。雅美が闘い始めたのは1975年、私と結婚した年からです」
島田さんは、「みんな批判はするけど行動しない。一億総評論家よ」とよく話した。――彼女はもう、いない。
(『週刊金曜日』2023年5月26日号)