78年前に起きた花岡事件 強制労働の犠牲者の慰霊と追悼を大館市が主催
室田元美・ルポライター|2023年7月10日7:00AM
「供養に日本人も中国人もない」
遺骨が入った400ほどの箱を信正寺に安置したが、中国人のお骨になぜそこまでと言う人もいた。達道さんは「あなたの子どもが外地で戦死して、お骨を拾って供養してくれる人がいると思えばどうか。供養に日本人も中国人もない」と答えたそうだ。
父の後を継いで慰霊を続けてきた達元さんは「一鍬奉仕運動」で市民らが発掘した遺骨を携えて1964年に訪中、周恩来首相(当時)に会った。今の日中関係を「お互い言いたいことはあるでしょうが、仲良くしなきゃならんでしょう」と語る。
NPO花岡平和記念会理事長の川田繁幸さんは、日中関係が悪化すれば、今後さまざまな交流にも影響を及ぼしかねないと考え「政治がそれを無視できないほどに、今まで続けてきた民間交流をしっかり継続し、周囲にも伝えていく必要がある」と力を込める。
戦後行なわれた遺骨返還や裁判闘争、鹿島との和解、幸存者や遺族を招いての交流、花岡平和記念館設立などは、市民が戦争責任をどう引き受け、形にするかという道標にもなってきた。また強制連行、強制労働の犠牲者の慰霊や追悼をこのように市が主催している例は、筆者の知る限り見当たらない。公の記憶として共有し続けることは、事実を風化、歪曲させないためにも大きな意味がある。花岡事件から学び、未来に活かすことが、二度と戦争を起こさせないために今こそ必要だろう。
(『週刊金曜日』2023年7月7日号)