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「負の記憶」水俣病遺構を現場保存することの意義

田中優子|2023年9月12日2:51PM

 8月5日、「石牟礼道子と水俣が繋ぐもの 絶望と希望と〜もうひとつのこの世を求めて〜」というシンポジウムを、『椿の海の記』の独演を続ける演劇家・井上弘久さんを中心に有末賢さん、古川柳子さんと私で開催した。テーマは「記憶とアート」だ。このテーマは、下田健太郎著『水俣の記憶を紡ぐ 響き合うモノと語りの歴史人類学』(慶應義塾大学出版会)が契機となった。水俣湾の埋立地に置かれた石像をめぐって書かれた素晴らしい学術書だ。「もの」として見える形で残していく記憶の意味を改めて考えた。 その前の7月、水俣の百間排水口が市の意向で壊されそうだ、という情報を受け取っていた。その直後、中島岳志さんから「水俣・百間排水口を歴史的遺構として現場保存することを求める有識者会議」のアピール文とともに「呼びかけ人になってほしい」と連絡があった。もちろん承諾した。19日には記者会見も開催された。 アピール文は第一に、百間排水口は広島の原爆ドームに匹敵する歴史文化遺産であること。第二に、百間排水口は水俣病問題における行政の不作為という痛恨の歴史の現場であることから、その背後には「現場を保存したくない」という意思が働いているのだろうが、これ以上の不作為は許されないということ。第三に、百間排水口の樋門が撤去された場合に予想される世界的な反響の大きさ。第四に、百間排水口が、日本だけでなく世界に注目される文化財歴史遺産であるということ。要約すると、そういう内容であった。実際、水銀を含む製品の製造と輸出入の規制をめぐる条約は、世界的にMinamata Convention on Mercury(水俣条約)と呼ばれている。Minamataはもはや世界の言葉なのである。 アピール文は「水俣病に関するさまざまな歴史的遺構の保存に向けた議論が活性化されていくことを求めます」と締めくくった。 うまくいった記憶より傷を負った「負の記憶」の方が、実は重要なのである。二度と繰り返さない、という姿勢につながるからだが、同時にそこが、人間の生命や内部を見つめる場所になるからだ。経済的な発展が人間の発展ではなく、心の深化こそが人間の成長であり、社会を変えるちからであることを、改めて考えることができる。水俣病遺構はそういう場所として、今後も作り続けねばならない。

(『週刊金曜日』2023年9月1日号)

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