「砂川事件」国賠訴訟が結審
原告側は「伊達判決」の復権望む
木下寿国・ライター|2023年10月3日5:43PM
「米軍駐留は違憲。被告は無罪」とした判決から一転、「基地内に立ち入ったデモ参加者は日米安保条約の規則に違反する」との有罪判決を受けた(その後確定)元被告人らが国を提訴した「砂川事件」の国家賠償請求訴訟が9月11日に東京地裁で結審。来年1月15日に判決が出ることが決まった。
自衛隊が発足するなど安保体制が着々と強化されつつあった1954年、日本政府は米国の要求に応じ全国5カ所の飛行場における拡張計画を発表。各地で反対闘争が起こり、計画は撤回されたが、米軍立川基地が置かれた東京都の北多摩郡砂川町(現・立川市砂川町)では基地拡張のため土地強制収用手続きが翌年に発動された。最終的に基地拡張は中止されたが、その過程で57年、反対するデモの参加者数人が基地内に数メートル立ち入ったとして起訴された。
一審の東京地裁(伊達秋雄裁判長)は59年3月、米軍の日本駐留は憲法9条2項前段による戦力に当たり違憲として被告人を全員無罪にした(伊達判決)。これに対し、検察側はただちに高裁を飛び越し最高裁に上告。最高裁は同年12月に原判決を破棄し地裁に差し戻すとともに、高度な政治性を持つ条約などについては判断を下すことができないとの「統治行為論」を採用。以後も被告人らは争ったが、63年に有罪が確定した。
ところが2008~13年、当時上告審の裁判長を務めていた田中耕太郎最高裁長官が、ダグラス・マッカーサー2世・駐日米国大使との間で審理の内容や進め方などについて話し合っていたとする公文書が機密指定解除により発見された。このため元被告人らは「無効な手続きによる裁判であり、免訴とすべきだった」として14年に再審請求を起こしたものの棄却(18年、最高裁)。そこで改めて侵害された人権の回復と公平な裁判を受ける権利などを求めた国賠訴訟を19年3月、元被告人の土屋源太郎氏ら3人が提起。今回までに計13回の口頭弁論が開かれた。
真の被告は「最高裁」だ
この国賠訴訟について原告弁護団の武内更一弁護士は、本当の被告は「最高裁」だと指摘する。
「当時、田中最高裁長官がアメリカ側と話し合っていたとする事実が明らかになれば、彼は裁判官の身分を失っていたはず。だから最高裁そのものが被告なのです」
最高裁長官が米国側と“共謀”したことを示す公文書について、日本政府はこれまでその存在を認めていない。しかしジャーナリストらによってすでにその内容が暴露されており、弁護団も米公文書館から取り寄せた文書を翻訳のうえ東京地裁に提出している。その信憑性については外務省国際情報局長などを務めた孫崎享氏が5月の弁論で証言しており、ほぼ間違いないものと思われる。
つまり最高裁は統治行為論を振りかざしながら、実際には米側と日米安保の取り扱いについて話し合っていたことになる。武内氏は「裁判によりその事実を世間の人が知れば、最高裁判決はいかさまだったのだとわかり、判決の権威は地に落ちる。それによって判決を事実上無効化できる。それが大きな目的の一つ」と語る。
最高裁判決の無効化は、同時に伊達判決の復権にもつながる。「憲法9条違反とした伊達判決が不法な方法で破棄された。それが事実なら同判決は政治的にはまだ生きているといえる」(武内氏)からだ。武内氏はさらに「最高裁の統治行為論によって、さまざまな憲法判断がねじ曲げられてきた。本裁判で違憲審査権を再構築し、日本の司法を独立させたい」と話す。
最終弁論後に衆議院第二議員会館で開かれた報告集会でも「最高裁の判決が司法界にとどまらず、日本の政治を腐らせてきた」との声が出た。砂川闘争関係者らによる「伊達判決を生かす会」の島田清作共同代表は「砂川闘争のおかげで立川基地は拡張されなかったが、隣の横田基地は戦争の基地として、ますます強化されている。外国を攻撃したら報復され、東京都民は戦火にさらされる。伊達判決は一層重要になっている」と、その今日的意義を強調した。
(『週刊金曜日』2023年9月29日号)