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「戦争」という言葉が隠すもの

想田和弘|2023年11月27日5:16PM

『週刊金曜日』編集委員・想田和弘

 イスラエルによるガザ侵攻について、世界中で「ジェノサイド(大量虐殺)をやめろ」と非難の声が上がっている。その通りだと同意する一方で、疑問も湧いてくる。大量虐殺を伴わぬ戦争など、これまでに存在した試しがあっただろうか? 戦争とはすなわち大量虐殺ではなかったか? 

 美輪明宏氏が言っているように、私たちは「戦争」という言葉の代わりに「大量殺人」という言葉を使うべきだと思う。

「戦争」を実行する人たちが何をするかと言えば、殺し合いである。しかし彼らは「殺し殺され屋」とは呼ばれず、立派な制服を着せられて「兵士」と呼ばれる。日本ではさらにオブラートに包まれて「自衛官」などと呼ばれる。給料や社会保障もつく。たくさん殺せば勲章ももらえるだろうし、殺されれば「英霊」だの「英雄」だのと呼ばれて称揚されるだろう。そうやって本質が誤魔化される。

 人間が何のために兵器を造るのかといえば、他人を効率よく大量に殺すためである。しかし兵器を造る企業は「大量殺人産業」とは呼ばれず、「軍需産業」などと呼ばれる。軍を維持するためのお金は「大量殺人費」とは呼ばれず、「防衛予算」と呼ばれる。より効果的に人を殺すための研究は「大量殺人研究」とは呼ばれず、「軍事研究」と呼ばれる。そうやって本質が誤魔化される。

 国際法でも国家には自衛の権利があり、「自衛のための戦争」という合法的な戦争があることになっている。今回のハマスによるイスラエル人の大量殺人も、イスラエルによるパレスチナ人の大量殺人も、アメリカによるアフガニスタン人の大量殺人も、ロシアによるウクライナ人の大量殺人も、当事者の言い分では「自衛のための戦争」ということになる。それを「自衛のための大量殺人」などと呼べば、彼らは顔を真っ赤にして怒るだろう。

 つまり大量殺人を合法化・正当化するための言葉が「戦争」なのである。それは殺し合いの本質を隠蔽し、粉飾する巧妙なシステムである。「戦争」という大義を与え合法化するからこそ、国家は愛国心を煽り、若者を「兵士」として動員し、莫大な国家予算を使うことができる。だからこそ、いつまでたっても大量殺人はなくならないのではないだろうか。 私たちはそのことに気づかなければならない。本質を見抜かなければならない。

(『週刊金曜日』2023年11月24日号)

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