笹子トンネル事故から11年
責任認めぬNEXCO中日本、真相究明求める遺族
樫田秀樹・ジャーナリスト|2023年12月22日2:04PM
中央自動車道初狩パーキングエリア(山梨県大月市)に建立された笹子トンネル崩落事故犠牲者慰霊碑周辺で12月2日、同事故から11年の追悼慰霊式が行なわれた。
同事故は2012年12月2日午前8時3分、NEXCO中日本(中日本高速道路。名古屋市)が管轄する笹子トンネルで起きた。トンネル内の天井板345枚が長さ138メートルにわたり崩落し火災も発生。3台の自動車に乗っていた9人が圧死、焼死、あるいは一酸化炭素中毒により死亡した。
事故の主因はトンネルから天井を吊り下げるのに使ったアンカーボルトの劣化具合を12年間も打音調査もせずに目視だけで済ませていたことだ。だが遺族が知りたい、杜撰な点検を「誰が、いつ、どういう手続きで、誰に対して命じたのか」という真相部分の情報は、これまでまったく出ていない。
慰霊式では、事故で亡くなった松本玲さん(当時28歳)の父、邦夫さんが追悼の言葉の中で「今も変わらないこと」として、二つのことを述べた。
「まず、遺族の悲しみは今も消えません。玲が生きていれば、結婚して子どももいたろうか、どんな仕事をしているのかと、同世代の人を見ると思ってしまいます。そして事故が起きた真相がいまだに明らかにされないことです」
NEXCO中日本は同事故発生翌月の13年1月30日には「安全性向上に向けた取組み」を、国土交通省も半年後の同年6月18日に「トンル天井板の落下事故に関する調査・検討委員会報告書」を、それぞれ報告書として公表した。
だが前者は事故の詳細には一切触れず「(安全に対する)意識が自分の担当業務に関わる範囲での安全にとどまる傾向が見受けられました」など抽象的な反省文を羅列しただけだ。後者も事故原因について「設計・施工・維持管理のいずれも問題があり、複合的要因で崩落した」(概要)とは報告したものの組織の責任については一切触れていない。そもそも前書きに「(本報告書は)事故の責任の所在を明らかにすることを目的としない」と明記しているほどだ。
松本さんは「NEXCO中日本は『工作物責任』は認めても『使用者責任』を認めようとしない」と強く批判したうえで、真相究明のための「第三者委員会」の設置を訴えた。これは事故から12年目となった今年、遺族が初めて会社に求めたものだ。
だが、式典後の囲み取材でNEXCO中日本の小室俊二社長は「追加の調査をする予定はない」と明言。国交省の堂故茂副大臣も「大臣の意もあるので、持ち帰らせていただきたい」と、設置への消極さを示すだけだった。
遺族「組織罰」制定望む
慰霊式当日の午後、筆者はご遺族の4家族に単独取材をした。
事故から12年目の今年、遺族の要望により実現したことが一つだけある。NEXCO中日本の社員による遺族訪問だ。亡くなった石川友梨さん(当時28歳)の父、信一さんは「あの事故を起こした時の幹部クラスの人たちと話し合いたかった」と要望の理由を語り、社員との対話の実現は一歩の前進としながらも、それら社員が真相を語ることはやはりないという。
ただし、遺族は真相究明だけにこだわっているのではない。遺族は数年前から「自分たちのように終わらない悲しみに暮れる家族が二度と出ないように」と、同じような過去をもつJR西日本福知山線脱線事故(05年。107人死亡)と軽井沢スキーバス転落事故(16年。15人死亡)の遺族らと連絡を取り合い、「組織罰」創設の運動も始めている。
日本の法律では企業が大事件を起こしても、その組織を刑事告訴することができない。訴えの対象は社長や幹部、担当者などに限られる。実際、遺族も13年にNEXCO中日本の役員ら4人を相手に刑事告訴したが不起訴処分となり裁判自体ができなかった。
石川さんは「真相究明と組織罰の制定。これは私が一生をかけてやり遂げます。それが娘から突き付けられていますから」と、声に力を込めた。
(『週刊金曜日』2023年12月22日号)