核兵器禁止条約発効3年、ICAN事務局長は「日本の条約参加」強く求める
竪場勝司・ライター|2024年2月13日4:11PM
核兵器禁止条約が1月22日に発効から3年となるのを機に、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のメリッサ・パーク事務局長が来日。被爆地の広島、長崎を初めて訪問、東京で国会議員との討論会に参加するなどして、日本の条約への参加の必要性を訴えた。
ICANは核兵器禁止条約の国連での採択と推進に寄与し、2017年にノーベル平和賞を受賞。パーク氏は07年から16年にかけてオーストラリア連邦議会議員を、その後は国際開発大臣も務めた。ICAN事務局長には23年9月に就任した。
来日直後の1月18日には、東京都内で開かれた討論会「核兵器のない世界へ 日本の役割を問う」
(ICANと核兵器廃絶日本NGO連絡会が共催)に参加。与野党7党の国会議員と被爆者代表が出席した席でパーク氏は、核兵器がもたらす環境的・人道的に容認しがたい影響や、現在の厳しい国際情勢の中での核の危険性の高まりを踏まえて「日本は核兵器の威嚇や使用に依存した安全保障政策をやめ、核兵器禁止条約への加盟を目指すと明確にすべきです。それこそが核兵器のない世界のために真の道徳的なリーダーシップを発揮する道です」と強く訴えた。
核兵器禁止条約の第1回、第2回の締約国会議には、締約国ではないオーストラリアやベルギー、ドイツ、ノルウェーなどの諸国がオブザーバー参加している。他方、唯一の戦争被爆国でありながら、日本政府がオブザーバー参加もしなかったことについてパーク氏は「非常に残念で失望した」と表明。今後、日本に求められる具体的な取り組みとして、25年3月に開催される第3回締約国会議への参加などを挙げた。
翌19日、広島市入りしたパーク氏は、広島平和記念資料館で原爆投下がもたらした惨状を解説した展示を見学後、芳名録に「核兵器が私たちを滅ぼす前に、私たちが核兵器をなくしましょう」などと記帳。平和記念公園にある原爆慰霊碑に献花し、犠牲者に祈りを捧げた。20日には平和記念資料館のホールで基調講演に臨んで被爆者や若者ともパネル討論。21日には長崎市の平和公園を訪れ、被爆者たちと一緒にロープを引いて「長崎の鐘」を鳴らし、「原爆落下中心地」で犠牲者に手を合わせた。
「核抑止論」を厳しく批判
条約発効から3周年にあたる22日には、東京の日本記者クラブでの記者会見に臨んだ。パーク氏はこの席で「核抑止論」について次のような厳しい批判も行なった。
「核抑止は、数百万人もの人々をただちに殺してしまうような核戦争の『脅威』を基にした考え方です。核抑止は道義的にも法的にも受け入れられません。核抑止の理論を推進することによって、日本をはじめとする国々は核の拡散のリスクを増大させ、軍縮の努力を損なっているのです」
核兵器禁止条約は第6条で「被害者に対する援助及び環境の修復」について、第7条で「国際的な協力及び援助」について、それぞれ具体的な指針を示している。パーク氏は各地での講演の席で、「これは被爆者のみなさんにとって重要な規定と言えます」と強調。これを基にした核被害者への支援や環境修復に関するプログラムのほか、核軍縮の検証、核抑止力の批判的評価などの作業への参加を通じて「日本は有益な貢献ができるはずです」と期待を滲ませた。
同日夜には条約の発効から3周年を祝う各地のセレモニー会場との間をオンラインで結んでの「全国中継 核なき世界を日本から」(主催「核兵器をなくす日本キャンペーン・ボランティア」)も開かれ、東京(中野区)や鎌倉、千葉、静岡、長野、京都、大阪・豊中、広島など各地で行なわれたキャンドルアクションの模様などが紹介された。
「地球のため、人類の存続のために、一緒に頑張りましょう 地球上のすべての国を核兵器禁止条約に署名させましょう 私たちならできます」
全国中継でパーク氏は、各地の参加者へのそうしたメッセージをビデオで贈った。
(『週刊金曜日』2024年2月9日号)