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マルコムX研究者・長田衛の展示会 独自資料は垂涎の的
本田雅和・編集部|2024年5月1日4:24PM
1960年代後半~70年代、白人=ホワイトアングロサクソンが実効支配する米帝国の内部で急進的黒人解放運動の指導者となったマルコムXと、その遺産を引き継いだブラックパンサー党(BPP)――彼らによる民族独立運動の日本への最初の本格的紹介者となった作家・翻訳家の長田衛(33~97年)の著作や収集資料の展示会が、5月5日まで東京・上野の古書店「ほうろう」で開かれている。長田とともにマルコム暗殺の現場で歴史の目撃者となったパートナー石谷春日(87歳)ら、同時代の証言者による企画展だ。
長田と石谷は駆け落ち同然に日本を脱出。ニューヨーク(NY)の移民労働者街ロウアー・イーストサイドで生活。64年秋、散歩中の二人は社会主義労働者党(SWP)の街頭演説に遭遇、機関紙『ミリタント』を購入して読み耽った。紙面で初めてマルコムXの名を知る。当時は公民権運動の興隆期。「非暴力主義」のキング牧師に対し、彼の批判者であり好敵手だったのがマルコムだった。
彼の思想と運動に共感した長田・石谷夫妻は、NYハーレムで毎週末に開かれていたマルコムの演説集会に通い始める。そんな経緯から翌65年2月21日のマルコムの死にも立ち会うことになる。長田はこの事件を『日本読書新聞』に発表。日本での第1報となった。同年秋に帰国した長田は、以降、マルコム関連文書の翻訳、出版などに専念する。
マルコム暗殺の頃のアメリカ合州国の雰囲気は、当時の多くの知識人も証言している。暗殺の数週前から、CIA(米中央情報局)が彼の命を狙っているなどの噂が「ピリピリした空気」とともに全米に広がっていた。石谷は語る。
「実際にマルコムの家に火炎瓶が投げ込まれたり……。集会に遅れてきたマルコムがアラビア語で挨拶し、兄弟姉妹よと呼びかけた直後、私と長田のすぐ後ろの黒人2人が大声で喧嘩を始めた。マルコムのガードマンがそちらに気を取られた瞬間、パンパンという乾いた銃声と伏せろの怒声。顔をあげると壇上に彼の姿がない。担架で運ばれて来た彼の白いシャツの胸に、真っ赤な大きな輪が広がっていった。即死だと聞いた」
貴重な資料、散逸を懸念
「ほうろう」の店主、宮地健太郎(56歳)は1年前、石谷の転居に伴う蔵書整理で長田の関連資料段ボール箱10個分を購入した。
「入荷した本は通常、店頭や通販で売るか、同業者に流すか廃棄され散逸していく。でもこの資料群は、ひとまとまりとして有効に活用できる方に手渡したい。そのために、まずは展示で少しでも多くの人に見ていただきたい」と宮地自身が語る。社会運動に関心がある人からみれば垂涎の的だろう。
今回の展示は長田自身の著作が中心だ。帰国直後に仲間と自費出版したマルコムX演説集『黒人は抵抗する』(65年)や最初の単著『黒人は叛逆する』(66年、三一書房)などから『評伝マルコムX』(93年、第三書館)まで11冊。さらに新聞、雑誌、専門誌などに発表された評論・エッセイ約60件とポスター、石谷による手作りの解説用パネル、マルコムの秘書からの手紙など、二人が現地から持ち帰った多数の資料がある。
長田・石谷は68年春に再び渡米、マルコムとBPPへの取材を深めた。その際に撮影した多くの写真資料も、今年4月13日、「ほうろう」で開かれた石谷の講演とともにスライド上映された。
68年は官憲によるBPPへの弾圧の嵐の時代。同年4月6日には17歳の黒人党員ボビー・ハットンが警官隊に虐殺された。この事件の2日前には、メンフィスでキング牧師が暗殺されている。石谷のスライドには、カリフォルニア州オークランドのBPP本部や設立者ヒューイ・P・ニュートンの不当逮捕への釈放要求デモ、サンフランシスコ市庁舎前での国際反戦学生集会、演説するモハメド・アリやマーロン・ブランド、運動の拠点となったカリフォルニア大バークレー校や文化革命のサロンだった書店街の様子を伝える写真も含まれている。(文中敬称略)
(『週刊金曜日』2024年4月26日・5月3日号)
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