「終わらせよう」田中優子
田中優子・『週刊金曜日』編集委員|2024年5月31日1:35PM
「もうこの国の政権と与党は終わっている」と、能登半島を視察した青木理さんはニュースチャンネルArc Timesで何度も呟いた。「もうこの政権は終わりにしなければ」と、サンデーモーニングで安田菜津紀さんがキッパリ言った。「終わっている」「終わりにする」という言葉が耳から離れない。
なぜなのか。それは、次の時代を始めるためには、その前に終わらせねばならないからである。選挙が近づくと「野党は頼りにならない」とか「投票するところがない」などという言葉を聞く。今まではそんなことを言っている余裕があったからである。 しかし今はどうか。もう切羽詰まっている。今の政権には、自浄する力が残っていない。自浄できないということは、芯まで腐り切っていて、腐った部分を取り除いてやり直すだけの気力も体力も残っていない、ということなのだ。深刻な病に似ている。それでも「治癒」してさらに「成長」することにしがみつき、被災地そっちのけで万博はやりたい。社会を前に進めるためではなく、沈没しそうな船に乗りながら、沈没しない夢を見ているのだ。
次の選挙は、先のことを考える前の段階の選挙で、まず「終わっている」ことを認め、「終わらせる」ための選挙だと思う。いつも誰かに期待するのは英雄待望論だ。任せて安心したいからだが、「新たな指導者」を待っている余裕はない。もうこうなったら市民が自ら終わらせ、次の担い手を育てるしかない。
野党もそのつもりで共闘してほしい。次の政権が間違ったことをするのであれば、大きな声をあげて軌道修正させればよいのだ。完璧な政権はないが、マシな政権はある。根っこがまだ腐っておらず、市民次第で軌道修正する力のある政権は作れる。
江戸幕府を終わらせた明治政府の価値観が、私は好きではない。「日本の夜明け」だったとも思っていない。江戸幕府は腐っていなかったし、若い幕臣や藩士たちは次々と新時代の提案をしていた。明治政府はそれらを容れずに天皇による中央集権と戦争の時代を作った。それでも、終わらせねばならなかったと思う。なぜなら幕府と諸大名のがんじがらめの関係は、いったん解かなければ、新たな社会を作れなかったからである。終わらせたからこそ、失敗したとはいえ自由民権運動も起こった。「人権」という概念が、そこから初めて生まれた。
(『週刊金曜日』2024年5月24日号)