北朝鮮の人権問題考えるシンポが大阪で開催 「自由往来の実現を」
洪麻里・アジアプレス記者|2024年6月18日8:12PM
国際人権NGO「Free2Move」(以下、F2M)の発足記念シンポジウムが5月25日に大阪市で開催された。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で暮らす人々の自由往来実現を第一に掲げ、在日、日本人、韓国人、脱北者など多様な人々や国際社会との連携も目的に、関係者や市民ら約50人が集まった。
この日は共同代表を務める洪敬義さんと朴香樹さん、「脱北YouTuber」として北朝鮮での経験や考えを発信するキム・ヨセフさんの3人が登壇した。自身の経験を基に、活動に込める思いや日本社会へ伝えたいことを語った。
まず洪さんが設立経緯を説明した。洪さんは在日3世。大学時代に在日本朝鮮留学生同盟に所属したことを機に、卒業後は在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)で専従活動家として約20年勤務。2002年9月に金正日総書記(当時)が日本人拉致を認めたことに衝撃を受け、総聯の民主化を求める提言をし、除名処分を受けた。以降も国籍などに捉われない「越境人」の育成を目指す「コリア国際学園」の設立に携わるなど、形は違えど民族のための活動を続けてきた。
F2M設立のきっかけは「北朝鮮帰国者の記憶を記録する会」の活動だ。帰国事業では1959年から25年間にわたり9万3000人超が北朝鮮へ「帰国」。脱北者たちの証言を記録する中で「会いたい人に会う」という当たり前のことを実現するために活動を続けていくことを決意したという。
国連人権理事会に向けて
次に発言した朴さんは在日コリアン3世として高校まで朝鮮学校に通った。今は韓国で暮らしながら北朝鮮の人権活動をしている。
朴さんが活動を続ける理由は、67年に帰国事業によって単身で北朝鮮に渡った叔父の存在だ。初めて北朝鮮を訪れたのは90年。高校の修学旅行で、元山の叔父の家で二晩一緒に過ごした。初めて会ういとこたちは一目で親戚とわかるほど自分に似ていたが、境遇はあまりにも違った。持ち物すべてを羨ましがり、「なんでこんなにいい匂いがするの?」と体臭までも羨む姿に衝撃を受け「神様、ありがとう。この国で生まれなくて」と心の中で感謝したという。
さらなる衝撃を受けたのは96年の二度目の訪問。目から光が消え、笑顔を見せない親戚たち。叔父が連行されたという。「怖い」と号泣され「またすぐ来るから」と約束したのを最後に親戚たちの消息は不明に。20年以上経た後、叔父が拷問で亡くなり、親戚たちも全員が収容所に送られたと知った。
あまりに辛い記憶と無力感を前に、在日であることも親戚の存在も忘れて生きていこうとした時期もあったという朴さんだが、北朝鮮の人権のため活動する多くの人に出会い、約10年前からさまざまな媒体で発言。「一人でも多くの方にできる範囲で活動してほしい」と呼びかけた。
最後に登壇したキムさんは85年、咸鏡南道生まれ。「苦難の行軍」と呼ばれた大飢饉の際に母と姉3人を亡くし、自身も路上生活で命をつないだ。18歳の時にブローカーを頼りに、先に脱北した父のもとへ向かおうと試みるも失敗。殴られ、食事もろくに与えられないような「人間扱いをされない」留置所で恐怖を味わった。それでも脱北の際に滞在した中国との国境地域で初めて触れた国外の生活の様子が忘れられず、再び脱北を試み、24歳で韓国に入国した。
日本で会社員として働きながら発信するYouTubeの登録者数は14万人を超える。当初は発信することへの葛藤があったというが、「日本に来てまで北朝鮮を恐れて何も言えないのであれば『本当の自由とは何か』『脱北の意味とは何か』と考えた」と話した。キムさんは日本社会へこう語りかける。「日本から遠くない場所に国内さえも自由に移動ができない2500万の人がいる。人間として苦しみに共感し、現状を知ってほしい」。
F2Mは北朝鮮の生活実態をまとめた報告書を韓国の人権NGOに提出した。今年の国連人権理事会での北朝鮮の人権状況審査に向けて、同団体とともに働きかけていく予定だ。
(『週刊金曜日』2024年6月7日号)