長崎平和祈念像前「座り込み」通算500回 「核なき世界実現まで」
南輝久・「言論の自由と知る権利を守る長崎市民の会」代表|2024年7月4日5:17PM
長崎市平和公園の平和祈念像前で毎月9日に続けられている「反核9の日座り込み」(長崎県平和運動センター、原水爆禁止長崎県民会議主催)が、6月9日で通算500回目を迎えた。
市民が所属団体や立場の違いを超え、蟻が地を這うように「長崎を最後の被爆地に」「戦争は解決にならない」と訴え続けてきた座り込みは、核兵器禁止条約の成立といううねりにつながり、核兵器保有国にその使用をとどまらせる大きな力の一つにもなった。だがウクライナではロシアが核兵器を威嚇の道具に使い、ガザではイスラエルが多くの市民を狙い撃ちのように殺戮している。他方、足元の長崎市では目下、平和都市・ナガサキの象徴である平和公園の存在意義に関わる動きも表面化。「蟻」の行方には運動の歩みへの確信と同時に、予断を許さない現実も、また横たわっている。
座り込みは1979年3月、原子力船「むつ」の佐世保入港に抗議して開始。82年9月からは原爆が投下された8月9日にちなみ、開催日を毎月9日に改めて今日に至っている。500回目のこの日、朝10時から始まった座り込みには高校生から高齢者まで約420人が参加。核兵器廃絶と戦争のない平和な世界の実現を強く訴えた。
長崎県平和運動センターの米村豊議長(原水禁長崎県民会議議長)は「核兵器使用の動きが強まっている。核兵器禁止条約加盟国をはじめとした国々と連帯、核兵器がなくなる日まで座り込みを続けよう」とあいさつ。同センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(原水禁日本国民会議共同議長)は「長崎の悲劇を二度と繰り返してはいけないとの一心で、雨の日も風の日も休まず続けてきた。核も戦争もない世界の実現まで頑張ろう」と呼び掛けた。参加した高校生平和大使たちも、平和の尊さを語り継いでいく決意を表明。最後は全員で「核と人類は共存できない。武力で平和は守れない」というアピールを採択した。
「負の歴史」改変に危機感
盛り上がった500回目の座り込みだが、一方で長崎市は現在、被爆80年を機に原爆資料館の展示更新を図るに際し、日本の侵略戦争の「負の歴史」に関する展示を縮小改変する姿勢も見せている。同館運営審議会の公募委員選考では、ノーベル平和賞に6回連続でノミネートされた高校生平和大使や、1万人署名活動の指導者である平野伸人さんを「戦争への深い反省」について言及したことを理由に意図的に落としたとの疑いも浮上。これらに関する情報公開をめぐっては、市民有志による行政不服審査請求も起きている。
さらに平和公園の西側スポーツゾーンでは、市が県の高規格道路の園内通過を認めたことから、各スポーツ施設の再配置問題も浮上した。特にゾーンの中心的存在である市営松山陸上競技場は原爆投下前の形状をほぼそのまま残し、地下には今も多くの爆死者の遺骨が眠っていると見られる「聖地」。なおかつ今では小中学生から高齢者まで年間延べ約35万人の老若男女が部活動やウオーキング、リハビリ、ラジオ体操、レクリエーションなどに勤しみながら平和の大切さを発信する「宝の空間」であるにもかかわらず、現在地での存続が危ぶまれる事態となっている。
この日の座り込みと同時間帯、平和祈念像に近い原爆資料館の前では、市民らで結成された「世界に伝わる原爆展示を求める長崎市民の会」のメンバーたちが、外国人来館者に展示内容に関するアンケートはがきを配っていた。
(『週刊金曜日』2024年6月21日号)