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原発なき社会の実現目指した伴英幸さんが逝去

佐藤和雄・「脱原発をめざす首長会議」事務局長|2024年7月5日2:24PM

 特定非営利活動法人「原子力資料情報室」の共同代表を1998年から務めていた伴英幸さん(72歳)が6月10日午後0時35分、永眠された。原子力資料情報室は、「原子力に依存しない社会の実現をめざしてつくられた非営利の調査研究機関」であり、反原発・脱原発に取り組む市民団体や人々にとって頼れる組織だ。伴さんはその中核的役割を長く果たしてきた。しかし、今年3月にがんに襲われていることが判明。わずかな時間の後、異なる世界へと旅立った。

2019年8月、「脱原発を目指す首長会議」が青森県で原発関連施設を視察した際、専門家として同行した伴英幸さん。(撮影/佐藤和雄)

 伴さんはさまざまな市民活動に取り組むとともに、経済産業省の総合資源エネルギー調査会原子力小委員会の委員などとして、原発政策の矛盾や誤りを指摘し続けてきた。ご本人が原子力資料情報室のホームページに掲載した自己紹介を引用したい。

「原発問題に関心を持ったのは、1979年のスリーマイル島原発事故から。地域の市民運動に参加し、勤務先の生活協同組合でも組合員の方々と相談して原発問題に取り組みました。1981年、勉強会の講師に招いたことで高木仁三郎さんと出会い、1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに原子力資料情報室で働くことに。(後略)」

 伴さんの功績とは何か。原子力資料情報室の松久保肇事務局長は「高木仁三郎さんが亡くなって以降の、原子力政策が停滞し、原子力に対する社会的関心も少なくなる厳しい時期に原子力資料情報室の運営を担いました。一方、原子力委員会の新計画策定会議への参加を皮切りに政府のさまざまな審議会で、圧倒的少数派という中で脱原発に向けた提言も。対話の継続こそが未来への展望を切り開くものなのだと信じて参加されたのです。それが福島第一原発事故後の原子力政策の大きな転換の一助になったのだと思います」と語る。

(『週刊金曜日』2024年6月21日号)

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