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〈「共感」ベース社会の落とし穴〉内田樹

内田樹・思想家|2024年9月13日7:01PM

 先日、ある文学賞の選考にかかわっている編集者からこんな話を聴いた。この文学賞では投稿されてきた作品を編集者たちがまず「下読み」をして、候補作を絞り込んでから選考委員会に上げる。何百本も応募作が届くのだから当然である。その「下読み」の時に、若い編集者がある作品について「これは落としましょう」という低い評点を付けた。理由を訊ねたら「主人公に共感できないんです」とこともなげに言ったそうである。

「驚きました」と僕に話してくれた人はため息をついた。「主人公に自分が共感できるかどうかが文学作品の質の判定基準なんですよ……」。

 すごいですね、と僕も応じた。その基準だと『悪霊』や『変身』は一次選考で落ちちゃいますね。

 共感できるかどうかというのは個人の気質の問題である。「自分と近い」ということはその作品に「価値がある」ということを意味しない。そんなのは自明のことであると思っていたが、いつの間にかそうではなくなっていた。自分とケミストリーが近いかどうかがある時期から「価値」の基準に採用されるようになった。

内田樹氏。(撮影/尹史承)

 今回の東京都知事選を論じたものの中に、2位になった石丸伸二候補について、「若い人たちの共感を集めた」という分析を多く読んだ。そうだろうと思う。攻撃的で冷笑的であることが生き延びる上では力強い「ウェポン」になるということを経験的に習得してしまった若い人たちが、石丸候補のうちに「自分と同じケミストリー」を感じることに不思議はない。

 左派系の人たちは「若い人たちは情報が不足しているから、こんな選択をしたのだ。事実を開示されたらこんな投票行動をしなかったはずだ」という「啓蒙主義的」総括に傾きがちだけれど、私はこれには容易に同意することができない。投票行動が共感ベースなら情報の多寡は問題にならない。

 共感ベースなら、石丸候補がいかなる政治的立場を取っているかも、公約が何であるかも関係がない。動画を見て、街宣を聴いて、自分と「同じ生地」でできている人間らしいと感じたら、投票行動を決定する情報としてはそれで十分である。

近代以前に戻る社会?

 でも、「共感」ベースで政治的判断を下すことについては、それがいかに危険なことかはしっかりとアナウンスしなければならないと思う。「共感」ベースで政治的判断を下すということは、理解も共感もできない人たちとのコミュニケーションは初めから放棄するということだからである。このリスクについては左派の人も決してそれほど神経質であるようには見えない。

 この30年くらい人々は「理解でき、共感できる身内」がどこからどこまでか精密な境界線を引くことを「アイデンティティの確立」と称して、その不毛な仕事にひたすらうちこんできた。

 そうやって「身内」とはわずかな目くばせや符牒だけで身内認定できる技術を磨いてきた。たいした達成だと思う。けれども、そうやって孜々として共感の輪を創り上げていたら、気がついたら「身内」以外とは意思疎通が困難になってきていた。

 その「身内」認定にしても本人が「あいつはオレと同じケミストリーの人間だ」と思い込んでいるだけで、一種の関係妄想である。

 非正規雇用の若者が「経営者目線」を内面化したり、年収200万の人間がIT長者に喝采を送ったりする光景は今では珍しくないが、先方は別に「貧しい身内」を内輪のパーティに呼ぶ気なんかありはしない。

 近代市民社会がそれまでの部族社会から脱却できたのは「共感ベース」を廃して「社会契約ベース」にしたからである。近代以前に戻ってどうしようというのだろう。

(『週刊金曜日』2024年7月26日号)

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