「行政による人権侵害を考える会・関東」発足 「官製ヘイト」に抗う
石橋学・『神奈川新聞』記者|2024年10月17日4:47PM
人権を守るべき行政が人権を侵害する――。倒錯した「官製ヘイト」が各地で相次ぐ事態に抗おうと有志が集い「行政による人権侵害を考える会・関東」を立ち上げた。東京都人権部による映像作品の「検閲」や群馬県の朝鮮人労働者追悼碑の撤去、埼玉県による朝鮮学校の補助金停止、相模原市が「骨抜き」にした人権尊重のまちづくり条例に顕在化した「上からのレイシズム」をテーマに、それぞれの地元でフィールドワークなどの学習会を開いていくという。
8月22日、東京・千代田区の厚生労働省で開いた会見の冒頭、明治学院大学の宮﨑理准教授が声明を読み上げた。
「人権について考え、行動していくには過去を知り、異なる人と人が出会い、生活に持ち帰って長く考えていく機会をつくることが重要だ。人権という言葉が思いやりや特権ではなく、この社会に生きるすべての人の命と暮らし、文化と歴史が尊重されるという共通の感覚になると信じ、市民と行政に呼びかけ、問いかけていく」
この等しく守られなければならない「すべての人の命と暮らし、文化と歴史」に行政が線引きするという暴力への危機感があった。
美術家の飯山由貴さんは2022年、関東大震災時の朝鮮人虐殺に触れた映像作品「In─Mates」の上映を東京都人権部から不許可にされた。犠牲者への追悼文送付を拒否し「虐殺があった」という歴史すら認めない小池百合子知事への忖度は明らかで、「差別はないという上からの否認がある限り、草の根の差別はなくならない。差別はあるという姿勢を行政に取らせるところから働きかけていかなければ」と話す。
在日朝鮮人3世、埼玉朝鮮初中級学校に子どもを通わせる金範重さんも「行政は人権侵害をすると広く認識されるべきだ。助けを求めても『人権の問題ではない』と切って捨てられている」と憤る。
埼玉県は「財務の健全性」「北朝鮮の拉致問題」といった理由にならない理由を重ね、10年度から補助金停止を続ける。学ぶ権利を奪い、朝鮮人として生きることの否定にほかならない暴挙だが、県人権・男女共同参画課の課長は「補助金は人権の問題ではない」と言い放ち、「再開は県民の理解が得られない」と繰り返す。
行政が率先する差別
被害の訴えをなかったことにする態度に「少数だからこそ人権が侵されるという側面を無視して多数派の論理で切り捨てる。それを行政が率先して行なっている」と金さんは指摘する。「新型コロナ感染防止のマスクを埼玉朝鮮幼稚園に支給しない理由も『転売されるから』という無茶苦茶なものだった。だが、どれだけ破綻しても間違いを認めず、要はこちらに問題があるとみなされる。行政は『死ね』というヘイトスピーチはしないが、やっていることは差別団体と同じだし、行政だからより怖い」。
宮﨑准教授が強調するのも、差別を正当化し煽動する官製ヘイトの暴力性だ。「行政による人権侵害は人々の間に線を引くものだ。補助金停止は表面的には金銭の問題だが、朝鮮学校の子どもたちは排除してもよい、在日朝鮮人は権利の枠外に置かれてもよいという社会の雰囲気を強くつくった。それによって朝鮮学校への攻撃やヘイトスピーチが頻発した」。
戦時中、非人道的に扱われて命を落とした朝鮮人労働者の追悼碑を群馬県が粉々にして撤去した問題にも言及し、「死を嘆き悲しまれない人々の生は生きるに値するものとはみなされず、その生を保障する条件が社会的に確保されない。哀悼が不可能になることで、生きるに値する者とそうでない者を分ける線が引かれた」と説く。
外国ルーツの人から障害者、性的マイノリティ、被差別部落出身者までを広くヘイトスピーチから守る先駆的な答申を無視して凡庸な条例でお茶を濁した相模原市が示すように、行政は差別の被害から目を背ける。会見後、取材に応じた宮㟢准教授は「行政は人権侵害をする。だからこそ包括的な差別禁止法と、行政から独立した人権救済機関が必要だ」と指摘した。
(『週刊金曜日』2024年9月6日号)