「偉人」の過去の不正義にどう向き合ったか〈上〉 性暴力への「画期的な対応」がなされるまで 長崎人権平和資料館
室田 康子・ジャーナリスト|2024年11月29日3:37PM
【注釈】
性被害の実態を報道するため、この記事には性暴力の描写が含まれています。フラッシュバックなどの心配がある方はご注意ください。
平和や人権尊重を求める運動や組織が「偉人」と仰いできた人の過去の不正義を突き付けられたとき、どのような対応をしたのか。平和運動家、岡正治の性加害を告発された「岡まさはる記念長崎平和資料館」と、ジャーナリストむのたけじの差別発言に抗議をされた「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」(名称はいずれも当時)。二つの組織の対応を検証するとともに、その過程ではほとんど表に出ることがなかった被害者の訴えを伝えたい。
JR長崎駅を背にして坂を上って約10分。キリスト教弾圧で信者らが殉教した西坂公園の近くに「岡まさはる記念長崎平和資料館」が開館したのは1995年10月のことだ。その前年に死去した平和運動家で牧師の岡正治(享年75)の名を冠したこの資料館は、岡らが掘り起こした朝鮮人被爆者の実態や戦時下の日本による強制連行の調査資料などを展示し、日本の加害責任を訴えようと市民によって設立された。展示物はすべて手作り。運営も市民ボランティアが支えてきた。修学旅行生や海外旅行者も訪れる被爆地ナガサキの「知る人ぞ知る」名所だった。
「あの岡さんがまさか」
2023年、その資料館が大きく揺れた。5月、会員の乗松聡子さんから理事に「ネットに岡正治から性暴力を受けたという女性の投稿がある。対応しなければならないのではないか」と連絡があったことが始まりだった。乗松さんはカナダ在住で人権や社会正義について研究・執筆しており、日本に滞在中だった。
指摘された投稿は「すき焼き鍋の話」というタイトルで、名前は伏せられていたが「聖職者で活動家で市議だった人」「平和と人権のために尽力し、長崎の偉人として記念資料館まである人物」と書かれていて、容易に岡のことだと推測できた。郡司真子と投稿者名も書かれていた。
長崎の民放局で記者をしていたとき、他社の記者らと岡の自宅ですき焼き会をした。他の記者が社からの呼び出しで帰り、1人で皿洗いをしていると、岡が「最後の恋だと突然羽交いじめにしてきた」という。さらに「道具を股間に押し当てられ」「本当に怖かった」。その後も岡に記者クラブで待ち伏せされることが続き、疲弊していく。これ以前にも警察幹部から性暴力を受けており、絶望して記者を辞めることを決意した、とつづられていた。
初めて読んだとき、乗松さんはためらったという。自身も平和運動に携わり、岡正治や資料館を評価して会員になった。しかし、知ったからには何もしない選択肢はないと思った。ところが驚いたことに、何人かの理事は投稿された20年の時点でこの文章を読んでいた。にもかかわらず「そんな昔のこと」「当人が亡くなっていて反論のしようがない」「何が目的かもわからない」などと対応せずにいた。
改めて理事会で投稿のことが共有された。初めて知った人は「あの岡さんがまさかという思いで、なかなか受け入れられず、しばらく思考停止で落ち込んだ」という。一方で、「下ネタが好きな人だったが、行動に出ていたとは」という声もあった。岡と面識のない30代や40代の理事は「衝撃だった。でも絶対に対応しなければならない」と前向きだった。崎山昇理事長や新海智広副理事長も動き出した。まず被害者の話をきちんと聞こうと、性暴力についての知識もある乗松さんが投稿者の郡司さんに会うことになった。
8月に東京で行なわれた聞き取りは2時間以上に及んだ。岡の性暴力は投稿に書かれた1回だけでなく、その後も「謝りたい。平和運動の新しいネタもある」と言って郡司さんを呼び出し、キスをしたり体に触ったりしていた。乗松さんは、当時の岡の様子や活動を知る人たちへの聞き取りも進めた。岡は牧師として勤めていた教会に来る若い女性と恋愛関係になったり、信者から相談された性にまつわる話を長崎市政記者室で面白おかしく話したりしていたという証言が複数の人から出てきた。
9月の理事会で、対応が固まった。館名から岡の名前を外す。休館して展示を変更する。具体的には、個人顕彰をやめ、「岡正治記念コーナー」と岡の盟友で初代理事長だった故高實康稔さんのコーナーをなくし「性差別と性暴力」のコーナーを新設する。休館は10月から24年3月末までの半年間。思い切った提案だったが、理事の間で反対はなかった。内容を聞いた乗松さんは「ここまでやるのかと迅速な決断に驚いた」という。ただし、なにより被害者への謝罪が優先だと主張した。
崎山理事長と理事会一同からの謝罪文が9月末に郡司さんに届けられた。文書には、20年時点で投稿を読んでいた者がいたにもかかわらず対応が遅れたこと、郡司さんの苦しみに寄り添ってこなかったことへのお詫びの言葉があった。「(岡が)権力的立場を利用して、人権と尊厳を踏みにじる行為をした」と認め、「社会正義や人権を重んじる社会運動の中にも根強く存在する性差別に対し、常に自覚的であり、改善のために発言・発信・行動していく資料館に変わっていきたい」と書かれていた。
郡司さんは、通り一遍ではない謝罪文に驚いたという。「被害を明らかにしても、ずっと無視され続けてきた。告白したのは個人的な恨みからではなく、社会運動の中での性暴力、報道取材現場での性暴力の問題を改善したいという思いから。それを理解してもらえてうれしい」と述べ、「画期的な前代未聞の動き」と評価した。